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『君たちはどう生きるか』 - 作品の意図とエンドロールでの涙の理由を、米津さん視点から捉える試み

やっと観た。
公開から2ヶ月以上経っていた。

パニック障害気味で暫く映画館を避けていたのもあったが、何となく、世の中のほとぼりが冷めるのを待っていた節もある。

わたしは弱火の米津さんファンで、この作品に関わることになった彼の心境やその所感についてなど、インタビューや記事があればかなり読んでいた。
その中から浮かび上がったのは、「米津さんにとって代替が利かない、唯一無二の宮崎駿像」。

「光栄であると感じることは、もうこれ以上ないと思う」。
「子供の頃から追い続けてきた、師匠のような、父親のような存在」であると言う宮崎駿さんの作品に携われたことに、そう彼は答えている。

そんな彼が「死ぬかと思いながら」作った曲、『地球儀』。
CDのジャケットに「自分が絵を描くことは僭越だと思う。宮崎駿さんの絵を使わせていただくしかない」と語っていることが、彼にとっての宮崎駿さんの存在の偉大さを物語っている。

個人の感想としては、映画そのものが面白かったか?と聞かれれば肯定できないと思う。でも、Noも全く違っていて。
「面白いかと聞かれればYesではないかもしれないけど、限りなく『豊か』でした」。これが、今のわたしがしうる最高純度の回答だろう。

「豊かさ」と言えば、青サギの声をつとめた菅田将暉との対談で、米津さんはこんな発言をしている。

(米津)自分が小二のとき、家族で『もののけ姫』の上映に出掛けた。その上映前にマクドナルドを買って、座席の前に置いていた。上映開始ととともにあたりが暗くなって、そのあとにスクリーンの光が差し込んできて、その光がマクドナルドの袋をうっすらと反射していた。その光景を今でも覚えている。
……(中略)……
そういう、何てことないことを覚えているということは「豊か」だよね。

(菅田)上映前の情景まで覚えているなんて、よほど大きなショックがあったんだろうね。

下記「米津玄師 × 菅田将暉 - 僕たちはどう生きるか 対談」より。一部文言を変更。

対談によると米津さんは、「ものづくりをして、それが人に伝わるということはどういうことか」とうんと考えた時期があるという。

その時読み漁ったのが宮崎駿さんの書籍だった、と。
ものづくりのために人生観をうんと深めて、抽象的なことに対して悩み苦しんだ時期が両者ともにあったのだろう。その捉え方に、繋がるものを感じたのかもしれない。

宮崎駿さんは、米津さんが死ぬ思いで作った『地球儀』を目の前で初めて聴いた時、静かに涙を流されたという。

産みの苦しみを知る両者。ずっと宮崎駿さんに遠くから教わった米津さんだからこそ、二人だけの世界の中で繋がれたのかもしれない。

その苦しみとスケールの大きさを想像して、何故だか分からないがわたしはエンドロールで泣いていた。
美しい。尊い。豊か。素敵。
どんな表現の形容詞もおこがましく感じるような、究極の境地で二人が共鳴していることに、ただただ言葉を失った。

いち自称クリエイターの端くれとして、「産みの苦しみ」に何度も鬱になった。生きるとは、人生とは、創造とは、表現者とは一体、と、答えのない解を求めて古い哲学まで読み漁り、頭がおかしくなったこともあった。
デザインとアートは両極端の世界といえど、どちらの世界の苦しみも体験したことのある自分自身に、この人たちの偉業が刺さらないはずはなかった。

『君たちはどう生きるか』かあ。
わたしは、今日涙が出たときのこの気持ちを覚えていたい。
決して楽しい話ではないけど。つらいって思うけど。

美しいものを創るには、根源のことを知らないといけないと思うから。
そしてそのヒントが、この作品に詰まっていた。

菅田さんの対談も含め、米津さんの言葉には鋭さと柔らかさが同時に宿っている。聡明で、優しくて、核心的。
宮崎駿さんもそういう方なのだろう。

わたしもゴダールのことを尊敬しているけど、そういう共鳴ではないなあ。
でももしかしたら同じくらい憎たらしい性根なのかもなあ。
自分の倍以上長く生きる先人を尊敬し、その成果物を吸収することは、ときに奇跡のような融合をもたらすものだと知った。

ゴダールは死んじゃったけど。


結論、おすすめかどうかって?
誰にも勧めません。わたしは好き。


Emoru

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