持論【感謝】って何?

私の思う【感謝】は、『基本的に【自分の意思】と比例するもの』という認識。だから、表現として『ちゃんと感謝するんだよ』とか『感謝しなきゃいけない!』『感謝するべきだよね』みたいなことがあると、不思議に思うようになった。まるで『第3者から強制されているの?』みたいな印象を受ける。なら逆に、「【感謝】しなかったら、されなかったら、あなたはどうなるの?」って聞きけば良かったなって後から思うこともあるくらい。

実際のところ、数年前までは私も、【感謝】について、上記のような思考だった。その環境で生きてきて、不思議に思っていなかった。『意識的に【感謝】出来ることをを探して喜ぼう!』みたいなことも、割と積極的に実践していた。だけど、そんな自分を『変えよう!』と思ったきっかけがあった。以前の投稿にもある【謝る思考回路】とよく似ている。結局のところは、『【感謝】に対する自分の認識を肯定するため』とか『やってくれた相手を立てるため』だと気づいたからだ。全部が全部そうでは無くても、少なからず心当たりがあった。
また、『どんな事でも、当たり前じゃないんだよ。だから当たり前のことに日々【感謝】しましょうね』なんて教えられて過ごした経験もある。ただ、そんな感覚で日常を過ごしていると、『当たり前を当たり前だと思って何が悪い?』みたいな感覚の人を見ては疑問が湧いた。『この人が当たり前に【感謝】していないのは何故?なのに、普通に幸せそうじゃん?』なんていう、別に抱かなくても済むような疑問を、何度も生んだ。そんな感覚の人達と過ごす時間の中で、私は【新たな価値観】を学んだのである。
普段のブログでもよく言うように『自分が知らない、予期せぬ出来事を含めて当たり前』だと認識しているということ。だから、『現在の当たり前が、いつか当たり前じゃなくなることもある』と分かって日々を過ごしている。前回の投稿にもあったように、薬の副作用で一時的に気分が萎えても『まぁ、こんなこともあるよね。そんな時もあるよね』と笑って過ごせる。現在の私は、そんな感覚の生き方を身を持って実践している。また、『自分では考えられないような人間も、世の中きっと存在するよね』ってことも知っている。だから、人間関係においても、『無理も我慢も極力しないで、自分との距離感を上手く調整』しているイメージが納得できた。
先程の『どんな事でも、当たり前じゃないんだよ』の解釈として、冒頭の『どんな事でも』に、焦点を当ててみた。以前の私は、何故か、【自分にとって都合が良いと思えることに限定した考え方】を持っていたと自覚する。だから、ちょっとでも『自分にとって不都合な現実』に遭遇した時、「なんで?どうして?こんなはずじゃなかったのに!」と真っ先に反抗していた。そして、その原因を、毎回のように『言い訳』や『他人や環境を理由』にすることで、自分を守っていた。そんなことに必死になっていた過去の自分を、今更ながら大変恥ずかしく思う。

更に、どんな現実でも【感謝】する・しないは、やっぱり本人次第。『やって当たり前』とか『やってもらって当たり前じゃないんだよ』とか、よく聞くよね。だけど、今の私は、ぶっちゃけ、そんなことを言っている『本人の感覚でしかないよね?』と思うようになった。【感謝】したけりゃ【自分の意思】で素直にそう思う訳だし、その気持ちが無ければ無いで、それが【自分の意思】って話じゃないの。私だって、私の感覚でやりたいことをやりたいようにやって過ごしている。全部、【自分の意思ある行動と言動】を意識しているし、【自分の責任】だと思うことも増えた。別に誰かに【感謝】されたい気持ちもないし、【感謝】したいと思って生きている訳でもない。

【感謝】を主張する人に対して、『【感謝】すればそれでいいと思ってるのかな?』とか『意識的に【感謝】することで、何を期待してるんだろう?』なんていう印象を受けるのは、私だけだろうか。正直、【謝る思考回路】と同様に、【感謝】するだけでは『自分らしく生きることは、難しいのでは?』と、私は思う。【感謝】の気持ちさえあれば、【自分の希望を叶えてくれる人だけ】を大事にして生きていくのだろうか。そうだとしたら、『自分の成長はどこにあるんだろう?』と不思議に思う。
実際、私は家を出てすぐの頃、本当に【自分の意思】では何も出来ずに大変だった。だから、いつも周りの人を頼りに、【感謝】ばかりで過ごしていた。だけど、本人達は、私がどれだけ【感謝】を伝えても『聞き流すだけ』の印象だった。私の【感謝】の気持ちは、『ちゃんと伝わってるのかな?』なんて不思議に思ったこともある。ところが、だんだんと『私って、◯◯してもらってばかりだな』とか『いつも誰かに「◯◯してくれてありがとう!」って言っている』みたいな印象の【自分に嫌気】が差した。そして、『私は1人じゃ何にも出来ない人間なんだ』と【自己否定】の日々が始まった。『どうしたら脱出できるのか?』と悩んだ私は、自分が出来ることから、そんな人達の真似をするようになった。すると、今度は逆に、私が【感謝】されることが増えた感じがした。でもだからって別に、本当に何にも思わなかった。『してあげた』訳じゃなくて、『私が【自分の意思】でやりたくてやっただけだよ』って気持ち。本人に【感謝】の気持ちがあろうとなかろうと、それは、『今後の私の行動に繋がるかどうか』の話。『また同じことしたいな、次は違うことがしたいな』とか、反対に『次はもうしないかな、また考えようかな』なんて思うのは、『全部私の気持ちの問題なんだよね』ってこと。

そもそも、【自分の人生】なんだから、『周りの人間や環境を頼る気持ち』よりも、まずは『自分の人生と【本気で向き合う】気持ち』が必要なんじゃないか。と私は考える。それが足りないと、結果、自分が【消極的】になっていき、必然的に『【感謝】することしか出来ない状態』に辿り着く。過去の私は、そんな状態を自分で作っていたんだと振り返る。どんな相手や環境でも、基本的には【自分がベース】として生きたい!と思う気持ちさえあれば、『自分でなんとか乗り越えたい気持ち』が身に付くはず!なんてことは、私の実体験から日常的に実感している。

今回の私の持論として発信したいことを、以下にまとめてみた。

何事にも【感謝】の気持ちを意識することは、もちろん大事なことだし素敵なことだと思う。だけど、【感謝】ってきっと、『【自分以外】の全てを対象にして芽生える感情だよね』って初めて思った。そして、結局のところは【自分の人生】だよね。って話がしたい。

私が産まれたのは、『約28年前の【両親の意思】があったから』だと思っている。だから、日々もちろん【感謝】している。そして、その間に【出会った人間】【育った環境】その他【ご縁】が沢山あって今の私がいる。決して『平穏な毎日ばかり』ではなかったよ。だけど、ぶっちゃけそれも当たり前よね。【私の人生に影響を与えた全て】が【私にとって大事な過去】だと思ってる。そんな過去と共に、現在は【私の意思】で【私の人生】を歩んでいる。

私は、【自分の過去は全て、貴重な人生経験】であり、そのお陰で、現在を『誇りを持って』生きられるんじゃないか。なんてことを考える。どんな事でも『良いとか悪いとか、出来るとか出来ないとか』の話じゃない。結局のところ『自分の人生に本気で向き合う気持ち』の問題。【常に自分】と向き合うからこそ【自己成長】があって、それ故に【自己成長】の積み重ねが【貴重な人生経験】に繋がるイメージ。『私の貴重な人生経験』だからこそ、『日常的に自分の中で生き続けている』自覚がある。今の私は、【自分の人生】に『本気で向き合う気持ち』が『少しは、強くなった』のかもしれない。だから、わざわざ『意識して【感謝】を探し求める』なんてこと、今の私は『実践しなくなったのかな』って話。

相変わらず【m__lovemi】の長文にお付き合い頂き、ありがとうございました。

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