関係を壊したくはないけど、必要なことは必要だから。

困ったことになったが、おそらくは打開策はあるにはある。

もちろん、至極当然で真っ当な患者としての権利であり、病院は法的にそれを受け入れる義務がある。

とはいえ、患者に権利があることには慣れていない風土や時代の人間にとっては、相当嫌がられるだろうな。

けど、こちらとしても命掛け。

そして、別に何かやったわけじゃないつもりだけど、医師側が責任を放棄しちゃったし、もう今週も来週も学会で不在だ。

来月の初めに投与が必要な治療に漕ぎ着けないとまずいのだから、あんまり手段を選んでる余裕もない。

でも、あんまり非常識なことをすると、かえってことが拗れるかもしれない。

あまりにも無理のある行動は自爆の原因になる。

知識は武器だ。

おかげでまだ生きている。

しかし、知識も行動力も説得というか、お願いであっても、私の口調が温和な風ではないのだろう。喧嘩する意図がなくとも、わりと誤解されやすい。

正直、切羽詰まっているし、理不尽なNOを聞き慣れてしまったが故に、相手が口を開く前に、いかにエビデンスを並べるかや、いかに説得力を増す構成にするかを必死に考えている。

おそらく、常に心情は首元にメスを突きつけられているかのようだし、限られた時間の中でいかに情報を伝えるかを考えて構えてる……

相手が自分と同じ情報を知らないことを忘れて、文献も教科書の内容も症例も知っている前提で話し始めて、途中で相手に止められる。

各々の情報で補足していると、最初話し始めた内容から注釈を5つ6つ経て、結論に到着する頃には、お互いが多分主の論点からズレ、かなり疲れていて覚えてない。

多分、こちらは切羽詰まっているから、相手のことを考えてる余裕もない。

ウクライナの難民の人々が目の前で家族を殺されたことに同情する人が多いのだから、闘病中に同室だった仲間が亡くなったり、自分も何度か死の淵に立たされた(蘇生というと、死んで戻ってきたようなものだ)、銃口が当てられて死を意識したのではなく、実際に身体が死のプロセスを経験した苦しみが脳裏に焼き付いている。

戦場と似たこともあるのではないだろうか?

軽々しくなっ治療が難しいと言われた時、頭を過る自分の末路が癌の告知を受けた時の漠然とした恐怖ではなく、全ての痛みや苦しみが生々と蘇るのだ。

今は、流石に焦っている。

焦っているし、切羽詰まって必死に可能な手段を考えている。

しかし、だからこそ、医師と会話する時に突き放されると、無我夢中で助けをこう。

それは、医師としても不快なのだろう。

ただ、では他にどのような手段がある?

笑顔で「私なんかいつ死んでもいいのよ」と何も言わずに末期癌の痛みに耐え続ける患者が美談になり、患者の鏡になる。

生きたい。

助けて!

こういう方法があるという証拠を見つけました!

このような必死さは、熱量があまりにも違い、忙しくて患者に5分以上かけられない環境下では煙たがられるのだろう。

じゃぁ、どうすればいい?

「可逆的な疾患なのに、DNARにサインして蘇生を拒むのは受け入れられない。」

そういう姿勢があるのなら、治療できずにもっと短期間に死に至るのはどうなのだろう?

どちらかというと、「死」そのものが嫌というよりは、必然的なそのプロセスがあまりにも苦痛で回避したい。

もっと言うなら、長期間その耐え難い苦しみを持続させるくらいなら、もっとさっさと苦しまずにいける方法の方がまだマシだと思ってしまう。

しかし、最悪のシナリオに意識が引っ張られるのは良くない。

イメージトレーニングが大切だ。

より良い未来……

楽しい未来……

面白いエッセイ集を読んでも、今朝は全く面白く感じなかった。老人の自虐ネタだったから、今はそういう気分じゃなかったのだろう。

何か別の本でも読もう。

現実味のあることを考えよう。

具体策。

その遂行方法。

時間が過ぎる度に焦りが増す。

焦らず落ち着こう。

平常心こそがピンチを切り抜けるための最善策への道標でもあり、自爆を回避する方法でもある。

ぜひサポートよろしくお願いします。 ・治療費 ・学費 等 に使用し、より良い未来の構築に全力で取り組みます。