【エッセイ】そのままを抱きしめる生き方
私はこれから先の人生、楽しいことしかしたくない。
誰だって叶うならばそうありたいと思っているだろうけれど、私はもう本気の本心、心の底から強く強くそう思っている。
祈っていると言っても過言ではない。
悲しいことへの耐性は年々落ちている。
他の人が一時間泣いたら乗り切れることでも、私は数日引きずってしまう。もう、私は「私」をよくわかっている。だからこそ。
私がこれまでに出会ってきた何にも変え難い、大切な人たち。私の人生をカラフルに彩ってくれている、本当に数えきれないくらいの大事な存在たち。
そんな「唯一無二のやわらかいいのち」たちと、ひたすら笑って喋って歌って。
そして、彼らの生きる日々のささやかな幸せを願って。
たまに一緒に怒って寄り添ってちょっと泣いて、気ままにのんびり美味しいお酒を飲んで、あんまり時間を気にせず眠って──。
そんな「楽しい毎日」だけで、余りある残りの人生を満たしていきたい。
そうあるための努力は、めいっぱいするぞ。絶対に惜しまないぞ!という、突然わきあがる感情及び、願望の備忘録。
本当に、時間は不可逆で有限だ。
「あなた」は「あなた」の人生を大切にした方がいい。
時間は万人に平等だ、老若男女問わず、そう。
他人は他人でいいのよ。
何でも自分と比べりゃいいってもんじゃない。
幸せの大きさも不幸せの数も、他人と比べてどうするの。何でもいいんよ、ややこしいことは。
そこは多分、一旦分けて考えた方がいい。
あなたは「あなた」を生きることしかできない。
干渉も拒絶も、あなたが受け止められるものだけを受け取ればいい。
ひねくれた愛情に、無理に同調しなくていい。独りよがりなお節介に、足元をすくわれている場合じゃない。
人生そんな簡単じゃないって言うかもしれない。
わかるよ。わかるけど、でもさあ。
したい?したくない?
楽しい?楽しくない?
嬉しい?嬉しくない?
そういう簡潔な二択にしてみたら、とりあえずでも答えは出ないだろうか。いつだってきっと、本音と建前にがんじ絡めになっている自覚はあるだろうに。
いいものは分かち合えばいいけど、そうでないものは無理に受け取らなくていい。
大切なものはその手に収まる分だけで、いい。
欲張らなくていい、無理もしなくて、いい。
わくわくすることをしたらいい。
にこにこできる人といたらいい。
あなたの人生は、「あなた」のもの。
主人公は、「あなた」以外なり得ない物語のど真ん中を歩いているのだ。
決断することが怖いかい。
迷うことが苦しいかい。
大丈夫、落ち着いてもう一度考えてみるといい。
したいことは何だ。
やりたいことはどれだ。
進みたい方向はどっちだ。
そこが明らかになっていないのに、「これをしなくてはいけない」とか「あれをすべきだ」とか考え出すから苦しくなる。
願望や目標を整理してから、考えるの。
目指す先を明らかにしてから、掘り下げてみるの。
それらを叶えるのに、何が必要か。その必要なものはどうやったら手に入るのか。
願望も目標も何もないならば、本当に自由だ。
何も絶望することはない。
それはつまり、人生をただ縦横無尽に駆け回るチャンスがあると言うことに等しい。
何する?何が好き?
どれがきれい?どこが気に入っている?
きっかけなんて、何でもいい。
好きなこととか得意なこととか、自分の中をポジティブな懐中電灯で照らして見る。
別にいいや、後でいいやと電気を消した部屋。
物置みたいに「いつか」を詰め込んだそこで、懐中電灯を点けて探し物をする要領で、探すところからするの。
生きるのが難しい世の中になっているのは、そうかもしれない。やむなし。
ただ人生という道を真面目に歩いているだけなのに、履いている靴が汚れたり脱げてしまったり。
自分が気に入って身につけている服を、周囲に揶揄われたり、はたまた水をかけられたり…。
本当に、本当に、「気にしなくていい」。
汚れた靴は、洗えばいい。
脱げた靴は戻って履き直せばいい。
あなたが気に入って身につけている服なら、笑われたって気にしなくていい。それを笑う人に、「あなたの価値観」はまだ理解できていないだけ。
理解してほしい相手なら、相応に働きかけることもできるし、その必要のない相手なら耳を貸す必要すらない。
私自身もまだ未熟で道の途中だけど、真面目にそう思っているんだよ。
日々、いろんな友人や教え子とちらほら連絡を取る。楽しい話し、苦しい話し、近況報告、特に内容のないもの…。
そういったやり取りをする中、何度も何度も私は相手を心で抱きしめる。
それでいうと、教壇に立っていたときから、人の話を聞くときの心持ちは、何も変わらない気がする。
私は「そのまま」を、受け止めるよ。
そんなに慌てないでいい、取り乱さなくて大丈夫だよ。
とりあえず、「そのまま」を一緒に見つめて、抱き止めるところからしようよ。
それが、人生のひなたを歩くための、第一歩だと思っているし、経験則で見てもこういうやり方が大きく外れてるとは思わないんだよ。
私はいつだって、本気でそう思って生きているよ。
私信
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明日から十二月だって。
ありがとう、十一月。またね。
私たちは、今月もよく生き抜きました。天才!
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