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【ショートショート】 私たちに翼はなくても

 太陽が窓ガラス越しに、ジリジリと机上を焼く窓辺から、ひたすらに暑そうな外をぼんやり眺める。
 暑すぎると、蝉の声もしなくなるんだななんて、どうでもいいことを考える。

「駅まで歩くのだるいなあ」

 まるで自分が呟いたのかと思うくらい、ぴったりのタイミングで隣にいた田辺が言う。

 それ、わかる。
 だよねー暑いしなー。
 他愛のない、そして深い意味もないやり取り。

 そのまま、ふうと小さなため息をついて、田辺は気だるそうに頬杖を崩し、暑さに溶けたような姿勢になる。

 駅までの距離はそこそこあるのだけれど、学校から駅までの間にはそれほど大きな建物がない。

 そのため、今いる図書室は校舎の四階にあるので、その道全体を上から目視することができた。

 街路樹が少なく、この時間だと太陽の位置の都合もあって、日影も少ない。

 ゴールの駅はあんなに大きく見えるのに、もうすぐそこにあるのに、そこまでの過程の苦痛が想像できるぶん、より尻込みしてしまう。

 図書室のよく冷えた空気に、少し身を委ね過ぎたせいだろうか。

 行くか行かないか、ぐずぐずと悩んでいる間にも時間は過ぎていく。
 遅かれ早かれ行かなくてはならないのだから、少しでも早く行ったほうがストレスからも解放されるのに。

 何もかもわかっていて、それでもなお気持ちは進まない。

 おかげでかれこれ三十分以上、こうやって自分の近い未来を見つめている。だんだん大袈裟な気持ちにもなってくる。

 まるで人生みたいだと、思う。

 溶けた田辺はだらけたまま、二週間ほど前に出されていた課題をやっている。…はず、多分。
 本日が最終の締め切りで、授業中に回収されたものだ。

 左の二の腕を枕のようにして、左耳をそこにつけ、まるで居眠りをしているかのようなだらけた態度で、私のいる側とは反対の方を向いている。

 パッと見た感じ、寝ているのか起きているのかもわからないけれど、たまにシャーペンでカリカリと何かを書くような音が聞こえるから、一応課題はやっているらしい。

 私は別に何の用事もないけれど、何となく帰りそびれて、田辺の隣、窓際にある席に座っている。

「何で図書館までついてきたの」

 田辺はこっちを向くこともせず、不意に話しかけてきた。

「何でだろ、わかんない」
「何だそりゃ」
「田辺のその課題はいつ終わるの」
「私が聞きたい」

 ちょっと笑って、肩の力が抜けた。
 今度は、こちらが「何だそりゃ」と言う番だった。

 本当に、何でだろう。私はときどき私がよくわからなくなる。

 がらんとした空間で何をするわけでもなく、友人と二人で肩を並べ、ただ「今」に流されているような、無色透明の空間を漂う感覚。

「…懇談、どうだった」

 相変わらず、こっちを向くことなく田辺が言う。
 懇談とは夏休み前に組まれていた、担任と親と我々で話す場を設ける、いわゆる三者懇談のことだ。

 自分の中でもまだ決まっていない自分の将来のことを、担任や親が話し込んでいるという不思議。

 そんな不思議を、ただみつめるだけの時間を過ごしたことを、思い出しつつもうまく説明できなくて、ちょっとそっけない返事になる。

「特に何も」

 しんとした空気が、自分の呼吸で揺れるのを感じた気がした。

「そっか」
「そっちは」
「特に何も」
「…だよね」

 みんなは、一体どこまで自分の未来を思い描けているのだろう。無色透明だった空間に、じわりと不安の色が滲みはじめる。本当に嫌になる。

「夏って、なんか、もっと暑いだけの時間だった気がするのに」

 それ以上でも以下でもない感想が、思わず口から漏れる。

「まあ…、年々複雑にはなるよね」深い意味のない薄っぺらな言葉でも、田辺は無視をしない。

「難しすぎ」
「わかる」
「…そんで、暑すぎ」
「それもわかる」

 田辺は、否定もしない。

 眩しいくらいに夏をたたえている窓の外。その広い世界は、校門を越え、駅を越え、どこまでも続いている。

「ゴールが見えているなら、ひとっ飛びでそこまで行けたらいいのに」
「…ふむ」

 私のどうしようもない独り言の後、田辺はゆっくり身を起こしてあくびをした。
 そのまま、ちょっと考えるような素振りを見せて、口を開く。

「一気にゴールまで行ったとして、どうせまた次のゴールを探して歩き出さなきゃいけなくなるだけじゃない」

 焦ったって仕方ないし、嫌でも行くしかないし。比べても仕方ないから、もうただ自分の思うように直進あるのみってわけ。

 机上に散らばった消しゴムのカスを、指先で潰しながらそんなふうに続ける。

 田辺はときどきものすごく当たり前で、ものすごく的確なことを言う。

「どうしたって、私たちは飛べないから、ゴールの先に光るものを見つけて、てくてく歩いて地べたを進むんだよ」
「光るもの?」
「そう」

 例えば、駅前の花屋の裏側に、新しいアイス屋さんができたの知ってる?と、田辺は笑ってみせた。


(1979文字)


=自分用メモ=
相変わらず、「どこかにありそうな日常」を切り取ることにハマっている。そうこうしているうちにも、夏はじわじわと過ぎてゆく。ああ私たちはただ生きているだけで、悩みの多いこと。考えることの、多いこと。
世の中の高校生は、どれだけ自分が不可逆な時間の中に生きているかを、あまり知らないと思う。かつての自分がそうだったように。
そんな彼らが少しでも、実り多い豊かな夏を過ごせていたらいいなという願いを込めて。

感想等は「こちら」から。ありがたく全てに目を通させていただきます!

これを読んでいるあなたも、暑さに負けることのないよう気をつけて、無理なく良い時間をお過ごしください…!

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