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【ショートショート】 冬の夜の入り口で

 夜眠る前、目を閉じるのが怖いときがある。
 何が怖いという具体的なものがあるわけではないと思う。ただ、漠然と恐怖を感じる。

 取り留めのない会話の中で、気まぐれにそんなことを話すと、ミカは「意外だ」と笑った。

「何が怖いの、暗いのが苦手とか?」
「いや別に…そういうわけじゃないと思う」
「へえ。シュウでも、そんな繊細なこと考えるんだ」
「…まあ」

 取り立てて、繊細なことを考えているつもりはなかった。ケラケラと笑うミカを横目に、ベッドに腰をかけたまま所在なく左手の爪を見る。

 ただ思ったことをそのままに口にしたのだけど、何だかうまく伝わってないなと思う。こういうとき、うまく自分の気持ちを言語化できなくて、黙ってしまう。

「やだな、怒んないでよ」
 そんな自分の変化を見て、ミカはすっと笑顔を引っ込める。

「怒ってないよ」
「じゃあ何考えてんの」
「いや別に、何も」

 ふうんと釈然としてないような返事をして、ミカは出していた腕をゴソゴソと布団の中に入れ、肩までもぐる。

「もう寝る?」
「…多分、そのうちね」
 シュウがお話ししようっていうなら、頑張ってもう少し起きていてもいいけどなんて言いながら、ミカはあくびをする。もう既に随分と眠そうだ。

 ふと、窓の方に目をやると、カーテンを半分閉め忘れていることに気がつく。

 暖かい室内と、相反するようによく冷えた冬の夜。
 ガラスは白く曇っていて、その向こうにある街明かりが、結露の雫に反射して鈍く光っている。

 何となくその光に惹かれて、ベッドにミカの寝息を残して、できるだけ静かに立つ。

 窓の前まで行き、指で結露に濡れたガラスにすっと横線を引く。じんとくる冷たさを指先に感じる。

 つうっと流れ落ちる雫をそっと視線で追って、それから指で引いた横線を覗き窓の外を見る。

 よく冷えた風に揺れる木々と、首をすくめてその下を歩く人影。しんとした闇の中で、目がチカチカするような光量を持つコンビニ。

 大きめの道の向こうにはマンションがあって、無数の窓が並ぶ。明かりのともっている部屋には、それぞれのストーリーを持った生活があるのだと思うと不思議な気持ちになる。

 それらをぼんやり眺めてから、そっと深呼吸をして目を閉じると、闇にそのまま紛れてしまいそうな気になる。

 ガラスの向こうで行き来する車の音と、コツコツと動き続ける時計の秒針の音と、自分の呼吸音を、明かりの消えた仄暗い闇の中に聞く。

 その中で、「いま」が不変なものではないという考えが、まぶたの裏でぐるりと巡る。大学の卒業が、すぐそこまで迫っている。モラトリアムの終わりを背中に感じる。

 漠然とした不安と何とも言えない恐怖の破片を、そういうものたちの中に見る。

 そっとため息をついて、半分のカーテンを閉めベッドに戻る。

 隣に目をやると、眠りの中へひと足先に飛び込み、規則正しく寝息を立てる恋人がいる。その後を追うべく、枕元の明かりを消して布団に潜る。

 そうして俺は、冬の夜の入り口でそっと目を閉じることにした。


(1237文字)


=自分用メモ=
秋が深まり冬になるくらいの夜が、たまらなく好きだ。ここ数日で一気に冷え込んで、冬を肌に感じることが増えた。素敵すぎる。そういう空気感を切り取りたくて書いた。寂しさや物悲しさと、寒さの親和性は高い。
表現として、この冬の夜の情景が、できる限りリアルに読み手に想像してもらえるようにという点に注力してみた。

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