【エッセイ】嫌なこと対処術あれこれ
人間生きていたら、まあそれなりの頻度で「嫌なこと」はある。毎日毎日、わー嬉しい楽しいハッピー!とはいかないもの。
そりゃそう。
そんなとき、どうしてる?と問われたので、少し考えてみた。
今日はそういうお話。
前もって言っておくが、私は基本的に「根暗」な人間である。
決して、常時ポジティブで、飄々と生きているわけではない。どうやら、そういうふうに見えやすいらしいのだけれども。
ただ、テンションの下がることに振り回されたくないので、大木のごとく泰然とありたいとは心がけている。
そうあるために、今の私が努めていることを述べてみようと思う。
一口に「嫌なこと」と言っても、いくつかその内訳に種類がある。
端的に言うと、忘れ物をしたとか、早起きをしなくちゃいけないとか、そういう類の「自分起因の嫌なこと」、そして、誰かに何か言われたとか、望まぬことをされたとか、そういう「他者起因の嫌なこと」が挙げられるだろうか。
ここにもう一つ足すとするなら、雨が降ってきて憂鬱やら災害で生活が脅かされるやらの、「環境起因の嫌なこと」があると考える。
ということで、それぞれに対して、いまの私が心がけていることを備忘録がてら残しておきたい。
決してこれらが全て正解だとか、こうしたらいいとかそういうつもりはない。
私は、私がしていることや私が考えていることを残しているだけだ。そこだけご理解いただきたい。
では、いざ。
自分起因の嫌なことへの対策
忘れ物をしてしまった。明日の朝早く起きなくてはいけない …。
これらは、いずれも自分のせいだったり、自分のためだったりという、いわば「嫌だけれどもどうしようもない嫌なこと」たちとなる。
ただ、自分のせいで起きたミスならば、以後気をつけていくしかないし、自分のための苦痛ならしんどくても頑張るしかない。
それすら嫌なら、忘れ物をないように事前にきちんと準備をせよということになるし、自分のためとはいえ耐えられないというなら、いっそのこと「やめてしまう」という選択肢も視野に入れる。
酸いも甘いも、結局のところ自分の人生の話だ。
忘れ物も、自分のせいなら誰も責めようがない。だって自分のせいだから。
落ち込むことは間違いなく落ち込むのだけれど、例えば忘れ物をしてしまった場合なら落ち込んでいるより、代替案を考える方が先だ。
落ち込んでいても忘れ物は出てこない。時間は不可逆。泣いても喚いても、何とかして切り替えるしかない。
朝早く起きることが苦痛というパターンなら、究極なことを言えば、「好きにしたらいい」という結論に至る。
嫌だ無理だやりたくない本当につらい、それでも「やりたいからやる」。
そうでないなら、別なやり方を考えるに限る。そのときだけでも人に助けてもらうとか、早寝早起きを心がけておくとか…。
起きられなくて寝坊した、それで困るのは「自分」なのだ。…もちろん、体調などの都合でやむを得ない場合は、この限りではない。念の為。
自分のことは、自分で決めていい。
私は、「結局のところ、自分がしたいことをしたらいい」と考えている。
それを決めるのは他でもない「自分」だ。
他者起因の嫌なことへの対策
先述した「自分起因の嫌なこと」は「嫌なこと」と「自分」の問題だった。
それに「他者」が加わってくるのが、このパターン。
自分と他者との関係性によって、嫌なことが生まれる場合がある。
人間、二人いたら喧嘩をすることができるし、三人いたら仲間はずれを出すことができる。人と関わることは、社会で生きていく上でどう足掻いても回避できないことだ。
馬が合う人もいれば、合わない人もいる。
お互いに異なる人生を生きてきて、異なる価値基準を持っている人間同士が同じ空間にいて、摩擦が一切起きないなんてことはないと思う。
例えば、自分に理解できない「嫌なこと」をする人がいたとする。
それは、もしかしたらその人にとって普通で、他の人が嫌がることとは思っていないかもしれない。
他者のことなぞ、実際何もわからない。
もしかしたら、わざと「嫌がること」をしてきているのかもしれない。
もうそれこそ、理解できない範疇の話だ。
ここでも使えるのが、一つ目でも書いた言葉「自分のことは、自分で決めていい」ということ。
嫌なことはされるけれど、理解はしたいから「嫌なこと」をやめるよう伝えてみたい!と思ってもいい。
何も理解できないし、関わりたくないから距離を置きたい!と思ってももちろんいい。
ただし、忘れてはいけないのは、他者は容易に変えられないということだ。
相応の理由や人生背景があっての言動行動かもしれない。そんな簡単に、他者は変えられないし、あなたにその権利があるわけではない。
自分にできるのは、「自分を変えること」だけ。
人間は、窮地に追いやられると、どうしても視野が狭くなってしまうものだ。
そんな選択肢浮かばない、考えられない、嫌なのにつらいのに…わあわあする前に、深呼吸して考えてみてほしい。
あなたは、どうしたいのか。
難しい問題は、できるだけシンプルに考えてみるに限る。
好き?嫌い?嬉しい?嫌?
まずは、自分の中で答えを一つ出すところからする。
答えが出たら、ではそこからどうするかを考える。
そこに他者はいない。自分がどうしたいのかが全てだ。
もう一度ここで考えたいのは「自分のことは、自分で決めていい」ということ。
これまでいろいろ悩み考えて、私はとりあえず今のところ、上記を一つのポリシーのように置いて生きている。
環境起因の嫌なことへの対策
何だかんだで、これが一番難しいかもしれない。
だって、どうしようもない。
雨が降って憂鬱、災害が起きたことで日常生活が危ぶまれる…。
「嫌なこと」の内容に大小はあれど、嫌だという気持ちに変わりはない。それでも、天変地異ばかりはどうしようもない。
心許ない意見になるのだけれども、これに関しては「自衛できることはして、少しでも自分の気持ちが上がる方法を模索して、対策していくしかない」のだろうなと思っている。
天気や災害のことに限らず、どうやら人生というものは一筋縄ではいかないらしい。
回避しきれないような大きな力、自分ではどうしようもないことは、どう足掻いても存在する。
どうしようもないなりに、自分で自分の機嫌を取っていく。
もちろん回避できることは回避したらいい、台風が来るとわかっているときに嫌だなあと思いながら旅行に行く必要はないわけだ。
もちろん、そうは言っても…という場合もあるのだろうけれど。
ここでもやはり使えるのは、「自分のことは、自分で決めていい」ということ。
もはやアホの一つ覚えのようにもなってきたし、前に述べた二つとはまた異なるニュアンスにはなるだろうけれど、そう考えている。
まとめ
結論 「自分のことは、自分で決めていい」
書きながらまとめて考えていたのだけれど、嫌なことへの一番の対策はそれに尽きるのかもしれない。
自分で選んだ道の苦労なら、頑張るもよし。苦労に耐えられないなら別な道を選ぶもよし。
何度でもいう。自分で、自分の人生を選択していくといい。
私は、そうやって嫌なことへ対策してここまで生きてきたように思う。
いろいろ言ってきたけど、結局のところ「あなたの人生、あなたの思うようにしていいんやで」ということ!
偉そうにいろいろ述べているが、私自身まだまだ勉強の段階だ。
良い対策があれば柔軟に吸収して、私も成長し続けていきたい。人生日々勉強…!
──問うてくれた人へ、これで少しくらいは伝わっただろうか。お役に立てるだろうか…?
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