4-8.三度目の就職

 半年間の失業給付の終了日が迫っていた。

 とりあえず、短い時間でアルバイトをしようと思った矢先、母の兄が経営する会社に無理やり突っ込まれた。
 そこは暇だったので、毎日考え事をする暇もあったし、退社後に遊ぶ時間もあった。
 会社と家は歩いて一時間かかるのだが、ダイエットと称して、往復の道を毎日歩いた。朝の光を浴びて、セロトニンを分泌させ、適度な運動と、規則正しい生活をしないと病んでしまう、と知識として知っていたからだ。
 ただ、ごついヘッドフォンが手放せなかった。周りの音や声を聞くのがストレスに感じた。外出用とは思えないごついものを毎日していたが、音楽は再生されていない。それどころかヘッドフォンのジャックはポケットに入っていたが、ポケットに再生機は入っていなかった。
 病院に相談すると、聴覚過敏があるのではないかと言われたが、私の耳は人の声が聞こえにくく、「過敏」とは真逆の印象だった。
 しかし、直後は聞こえていないので「あぁ…、大丈夫ですぅー」なんて適当に逃げても、後から急に意味を理解することがあり、「リアクションを間違えた!」と後悔をして暮らしていた。
 よく、細かい書類なんかを見る時に「目が滑る」というが、私の場合は「耳が滑る」という印象だ。人の話に集中できなくて、聞こえているのに、理解できない。なのに声以外の様々な「音」が神経に響くようで不快なのだ。
 だから、外を歩く時は耳を塞いでいた方が精神的に楽だった。
 それなのに時々人に話しかけられるのがストレスだった。私は昔から気が弱そうに見えるのか、頻繁に人に道を尋ねられるのだ。ごついヘッドフォンをしているのに、ジェスチャーで「それを外せ」と指示されて、道を尋ねられる。何故そんな図々しいことをするのか疑問に感じる。そして、道を覚えられないタイプなので、わざわざこちらが謝らねばならない。損な人間だ。

 一応働いているからお金も途切れないので、映画を見たり、服を買ったり、好きなことができた。
 私は社会人になってからすっかり本の虫をやめていた。それはいけないと気が付き、心理学の本を買って、自分のケアをするようになり、三年ほどかけてなんとか立ち直った。
 その会社にはいとこが二人在籍していた。
 学生時代に祖母・和香子の面倒を見て苦労した私は、何も苦労せず楽しい大学時代を送ったいとこ達が憎かった。その上、役職がついているので私のことを顎で使った。職務態度も普通だったと思うのだが、重箱の隅をつくようにいちいち注意を受けた。
 この時期が、一番睡眠障害がひどかった。
 夜はストレスで眠れなくて、うつらうつらと朝を迎えた。目覚ましが鳴る三十分前になると眠りにおちて、今寝たばかりなのに起きられるはずがなかった。
 寝坊すると、歩くスピードを上げた。一時間の距離を三十分で到着できるようになり、会社に着くやいなや、居眠りを始める。
 仕事中はずっと眠くて、ほとんど一日中居眠りをしつつ手を動かしていた。寝ているといっても五分くらい意識が飛ぶ程度の話で、昼間の居眠りトータルは二時間くらいなのに、夜眠れないという、地獄だった。眠気を吹き飛ばすドリンクなども飲んだが利かなかったし、夜は眠りを促すドリンクや、GABA入りのお菓子など、色々試したが眠れなかった。
 昔は、夜に泣いて、副交感神経を優位にして眠っていたことを思い出し、布団の中で悲惨な出来事を思い出すことも試したが、この時期は涙が枯れていたようで、ただフラッシュバックを招いただけだった。

 余談だが、この三年で新しい趣味もできた。そのおかげで一人の時間が充実し、友達も沢山できた。
 精神がかなり回復した自覚があったので、四年目に入る前に退職をした。これで嫌いないとこと縁が切れた。
 身体の重さも「ちょっとだるい」程度になり、毎日栄養をしっかり摂って、良くなっていたが、寝つきの悪さだけが悩みだった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?