3-3.何故キレるのか

 そもそもわが家の場合は、父は「被害者意識が強くて、他罰的」、母は「当事者意識が強くて、自罰的」な性格である。
 父はキレたい時にキレたいだけキレる。周りに誰がいても、どんな場所でも関係ない。自分の感情が抑えられないのだ。

 それは何故だろう?

 まず、父の場合は、前提として軽度の発達障害のような症状があるものと考える。
 今話題の「グレーゾーン」かも知れない。
 人間は、予想外な出来事が起こった時にこそ、その本質が試されるものだと思う。父の場合は、予想外のことが怒ると、瞬間的にパニックに陥る。
 パニックと言っても、いわゆるパニック障害のようなものではなく、ごくごく軽いものだ。
パニックが起こると、イライラが態度にでてしまい、怒ることで発散しようとするのだろう。
 これはあくまでも父の話で、軽いパニックが「イライラ」ではなく、「メソメソ」で現れる人もいる。そういう人は、ことあるごとにショックを受けて、強い不安を抱いたり、涙がこぼれたり、いちいち絶望したりしてしまう。
 パニックが起こるタイミングは、予想できないことが起きた時と、まだ何も起きていないが今後の予想ができない時、自分が恥ずかしい思いをした時、誰かがミスをしてしまった時、やりたくないことをする時などだ。
 だから、仕事のトラブルが発生し、率先して対応をしないといけない場面でも、軽度のパニックで冷静に対応ができない。
 まずは、怒って周りを責める。物にあたることもある。自分で対応をしようとしても気が焦って考えが整理できないのだ。
 また、一緒に出掛けている時も先が読めないとイライラしてしまう。
 例えば多くの女性はウィンドウショッピングが好きだ。目についた店をふらふら見て歩く。買うものが決まっている訳でも、行き先が決まっているわけでもない。しかし、父はそういう状況を楽しめないので「どこに行くんだ?何が欲しいんだ?俺はどうすればいいんだ?おい、俺がまだこれを見てるのに先に行くな。ソフトクリームが食べたい?このあとお昼ご飯が入らなくなるぞ?お昼は何を食べるんだ?早く説明しろ!誰か決めろ!」と高圧的な言い方で質問ばかりして、イライラ顔を隠さない。
 また、どんなトラブルが起きるか分からないので、新しいことに挑戦するのが大の苦手である。新しいこと=やりたくないことなのだ。父は、どうしても自分でなくてもよいことに関しては、全て家族に押し付けてくる。
 そのくせ、押し付けられる前にこちらが気を利かせて、新しいことをやっておくと「俺ができないと思って、馬鹿にしている」と怒る。どっちにしろ、家族は怒られるのだ。
 自分が失敗した時も、まず怒る。
 誰かがミスをした時も、すぐ怒る。
 他罰的な父は、ミスをした相手をめちゃくちゃに批判をするのだ。それは恐らく「自分は悪くないのにパニックになり、嫌な思いをしたり、迷惑をかけられた。その気分や時間の損失を返せ」という気持ちで責めるのである。
 前述のとおり、悪口を言うと気持ちいいので、人を責めるのは楽しいに違いない。
 外で店員にキレまくるなんて、普通は理性がそうさせないだろう。しかし、うちの父は、母に見放されているので、母から「こんなところで怒らないで」と言われないし、店員さんも客に口答えはできない。店員と客という、相手が絶対逆らえない場面ならば安心して罵倒できる最低な人間として完成しているのだ。
 一転して、自分がミスをした場合は、更に大変なことになる。
 父は自分のミスを指摘されるとキレにキレる。それは、自分が他罰的だからだ。今まで自分が他人にしてきた、数々の罵倒、人格否定、暴力の矛先が、今度は自分に向いてしまうのではないか?と恐怖しているのだ。
 「恐怖」というのも、自分がまだ感じたことのない感情を得た時に起こる感情だ。
 つまり、ミスをした瞬間に「これから俺はどうなってしまうんだ?」とパニックを起こしているのに、更に「このままでは自分のミスを責められてしまう」と恐怖している。これから自分は「子どもや妻にミスを指摘されて、笑われるなどの恥ずかしい展開を迎えてしまう」のも容易に想像ができる。
 以上のことから、自分がミスをした場合は、パニック+恐怖+恥ずかしさで怒りが何倍にも増す。
 「自分のミスでキレる」というのがどういうことなのか分からない人もいるかもしれないが、こういうことなのだ。
 それと、自分のミスでキレている理由には、もう一つある。それは「他人のせいにしてキレる」である。
 例えば、父が運転している車で道を間違えた場合、父が自分で気がついて「あれ?間違えた」とこぼすと、途端に怒り出して、助手席の母に「お前が見ていなかったから間違えたんだ!なんでもっと早く右じゃないと言わないんだ!事前に地図を見てこないお前が悪い。そもそもお前は道の覚えが悪いんだ。そして顔も悪い。頭も悪い!死ね!」と怒りをぶつける。
 これは「自己防衛」だ。相手に反論する隙を与えずに、どんどん責めることで相手の戦意を削ぐのだ。
 これは「怒りで他人をコントールすることができる」と思い込んでいる人がよくやる手だ。自分が怒ることで、その空間を支配できた経験のある人は、無意識に「怒りで他人をコントールすることができる」と思い込んでしまう。すると、毎度この手で支配や自己防衛をする。
 これは子どものやり方だ。スーパーで駄々をこねた結果、欲しいものを買ってもらえた子どもは、次もスーパーで駄々をこねる。人通りの多い商店街だろうが、おしゃれをしてやってきたデパートだろうが関係なく、駄々をこねてほしいものを手に入れようとするのだ。回数を重ねると、子どももそんなことはしたくないと感じてくる。しかし、これが通用するうちは、駄々をこねるしかない。
 そんな手法でしか家族を従えられない父を尊敬できるだろうか?
 家族としてはめんどくさいので、私は父が失敗しないようにサポートしてしまう。父がキレないように、それでいて父にバレないように先回りして手を打つのは大変疲れる。私の中でこのDV父は、「尊敬する人」「育ててくれた人」ではなく「関わると疲れる人」である。

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