挨拶、礼儀、そんなにむずかしく考えないようにしよう
挨拶。これにはいろいろと悩まされてきました。
挨拶をしたら返される。挨拶されたら返す。これが基本だと思っていたからです。
ところが社会というのは恐ろしいところで、挨拶しても返ってこない、ということが起こるのです。
たとえば朝出社したとき、あるいは退社するときによく起こります。
周りのみんなに向かっていうときですね。挨拶しても「シーン」ってことがあるわけです。
ゾクっとしませんか?
もう社会に出てうん十年も経ちますから今さらではありますが、これには悩まされます。
「嫌われているのか?」とやはり思う。
よくあるじゃないですか「無視」ってやつですね。
そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。わからない。
挨拶とは人と人がお互いに礼儀を尽くすものだと思っています。その場を気持ちよくするもの、という感覚です。
「 1 : 多数」の場合はちょっと事情は違うかもしれないけど、まあ基本は一緒です。
挨拶が返ってこないなら、しなくてもいっか、という割り切りもアリかもしれません。
でもやっぱりなんかしっくりこないというか、違和感はありますね。
どうしたもんか?と思っていましたらこんな言葉に出会いました。
挨拶は人間らしく生きるための基本の心である。
野村克也『野村の流儀』より
「挨拶は人間関係を円滑にする第一歩」とのこと。
ということは、自分が人間らしくあるために自ら挨拶を怠ってはいけないのです。
違和感の理由はここにありました。
また、このような言葉も。
礼儀とは、好き嫌いで判断するものではなく当然、そこにあるべきもの。
野村克也『人生に打ち勝つ 野村のぼやき』
たとえ嫌いな相手であっても礼儀を尽くす。その通りです。嫌われていようが何であろうが、ちゃんと挨拶する。
この言葉で吹っ切れました。結果がどうであれ、自分の問題としてちゃんと挨拶しようと。挨拶を返してくれないのはわたしの問題ではなくその人の問題ですね。
また野村克也さんに助けてもらいました‼️
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