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変わりゆく世界を受け入れる

時代は流れ、変わっていく。

年末の紅白歌合戦ではまさに世相を反映したアーティスト、楽曲が選ばれます。

それについていけない人もいれば、喜ぶ人もいる。

わたしはどちらかと言うと前者ではありますが、それでも必死に今の世界についていこうとしています。

過去に固執すること、現状に満足することも悪くはありません。

昔は良かったなぁ、今のままでいい、と。

しかしあまり執着しすぎると取り残された感があり、孤独を味わったり「裸の王様」になってしまうこともあるでしょう。

あの人は昔話ばかりする、まだあんなことしてる、と。

過去の経験や現在の安定から離れることはなかなか至難の技です。

特に周りの環境の変化、自然環境の大きな変化についていくことは人間として受け入れ難い選択です。

映画『天気の子』は変わりゆく世界を受け入れるかどうか、ということがテーマの一つになっています。

その中でこのようなセリフがあります。

人柱一人で狂った天気が戻るのなら、俺は歓迎だけどね。ていうか、みんなそうだろ。
映画『天気の子』より

雨が降り続く世の中、晴れ女である主人公が人柱となって消える代わりに、天気が今まで通りになる。

自然の猛威に対して人間は明らかに無力です。無力であるがゆえに自然に対して「無責任」になってしまいます。

元通りに戻るなら、たった一人の犠牲は致し方ない。

元通りであることがすべてであり、そうでないことを受け入れたくない。一人差し出せば元通りになるならいいじゃん。

しかも「みんなそう」だと責任を負わない。

見て見ぬフリとはこのことです。そうやって、日々のちょっとした異常でさえも見て見ぬフリをしてしまいます。

確かに何かやるにはあまりにも無力すぎる。天災は意志のない猛烈なエネルギーの爆発。抗えない。ここに葛藤があります。

世界なんてさ、どうせもともと狂ってんだから。
映画『天気の子』より

「狂ってんだから」どうするのか?

人柱、生贄を捧げて済むならそれでいいじゃん、と無関心、無責任に放置するのか?

抗ったってしょうがない、と諦めてしまうのか?

もちろん「どうしようもない現実」だからその現実を変えることは難しいし諦めざるを得ないけど、積極的に受け入れる、という方法もあると思います。

積極的とは、変わってしまった世界をありのまま受け入れ、その中でできることを探し続けることです。

立ち止まることはあるかもしれないけど後戻りはできないのだから、結局前に進むしか方法はない。

ならば何かに押されて進むよりも、自らの足で、自らの意志で進む方がいい。そんなふうに思います。

過去は未来のために整理されるもの、現在は未来のために進むべき道を模索するとき。

「そのうち光は刺す」と信じて進んでいければいいと思う、今日この頃です。

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