すっかりパ・リーグファンに染まってしまう
季節は1月、プロ野球は完全にオフシーズン。
選手や監督のコメントは発表されるも、来季の日程シーズン中のあの熱狂から最も遠い時。
ならばこの機会にわたしのプロ野球ファン歴をもって、自己紹介をさせていただきたい!ということで、今回は第6回、もしよかったらお付き合いください!
前回の「プロ野球ファンを決定づけた1983年の日本シリーズ」もどうぞ。
ライオンズは1982年の日本一を皮切りに、1983年巨人を破ってV2!強いチームの仲間入りとなりました。
それから3年。ライオンズは森監督のもと黄金期を迎えます。
しかし世間は誰も西武ライオンズを認めていなかった!とは言い過ぎかもしれませんが、パ・リーグには冷たい視線を感じていました。
なんといってもあの巨人を、破ったシリーズから3年も経っているのに、未だにライオンズの知名度は低い!
しかもミスター赤ヘルこと山本浩二選手の引退もあって、セ・リーグ覇者である広島カープ優勢の世論である。
腹の虫が治まらないことこの上ない心境。世の中の不条理を噛みしめていました。
当時から「人気のセ、実力のパ」と言われており、オールスターゲームでもパ・リーグ優勢でした。
とはいえ、球場に行ってみるとスカスカ。テレビ中継しているセ・リーグの球場とは雲泥の差…。
2020年は一時期5000人に入場者数を制限していましたが、正直「懐かしい」感覚になりました。あのスカスカ感が…。
中学生の頃。外野の応援席でみんなと一緒に声援を送る!なんてことはできないあまのじゃくな性格。
わざわざビジターチーム側である3塁側に行き、一人寂しく内野自由席で観戦していました。
ある日のナイターのことですが、3塁側内野自由席には四方八方誰もいない…。大げさではなくほんとうの話です。
まさに「一人寂しく」が似合うシチュエーション。
その日の対戦相手は南海ホークス。
上着が深い緑色、パンツが白のユニフォームだったんですが、上着の色が西武球場の外野の壁とほぼ同じ色なんです。
ですのでライオンズが攻撃のとき、外野手が誰もいないような錯覚に陥りました。目を凝らすと足だけ動いている…。観客だけではなく外野手もいないのか!
確かに人気はありません。ガックリ。
話は1986年の日本シリーズに戻ります。
このシリーズは正直勝てるだろうと思っていたので、第1戦の引き分け後の3連敗は予想だにしませんでした。く、くやしい〜!
そこで飛び出したのは第5戦での工藤投手のサヨナラヒット。
シーズン中は打席に立つことのないピッチャー工藤が広島リリーフエース津田投手から1、2、3で合わせたといわれる一打!
前日の「西武は迫力がない」と発言したあの津田投手から、打球が1塁線を破った瞬間、すべての思いが解き放たれ、大声を上げて歓喜し、スカーッとしたのを鮮明に覚えています。
第8戦では秋山選手のホームランでバク宙ホームインが有名だが、個人的にはシーズン中いいところのなかったブコビッチがセンターオーバーの決勝打で日本一になったことが忘れられない。
アウェー感たっぷりの広島市民球場が静まり返ったのはブラウン管の向こうからも感じました。
実は「帰れ」コールが鳴っていたとも知らずに…。
やっぱり実力のパですね。
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最後までお読みいただきありがとうございます‼️
次回は「勝つことが当たり前!?」をお届けします。
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