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生きとし生けるものの宿命、忍び寄る死について考えてみる
いきなり切り出すのもなんでが「死」というものを意識することってありますか?
生きとし生けるもの、いつか必ず訪れる「死」。
しかし、ふだんあまり「死」を意識して行動することはありません。
わたしもその一人ですが、歳を重ねるにつれ徐々に意識するようになりました。
一つは体力の衰え。頭ではわかっているのですが、若い時と同じようにいかないとなるとやや焦りを感じます。
7年くらい前に重いぎっくり腰になり、2〜3週間社会復帰できなかったことがきっかけです。
このまま体力を維持しないと歩けなくなり、動けなくなる!という恐怖が頭をよぎり、ないがしろにしていた運動をと思って始めたのがランニング。
当初はそれで良かったのですが、ランニングしていても数年前と比べると回復が遅かったり、効果が表れにくくなったりと、衰えを認めざるを得ません。
こんな中「体も頭も健康なうちにやっておきたいことはなんだ?」と自問自答し、どうしても乗りたかった車をちょっと無理して手に入れたり…。
そしてもう一つは母の死です。超身近な人がこの世を去ると「時間には逆らえない、いずれ自分も」という考えに陥るもんです。
死生観というのでしょうか、今までぼんやりしていたものが徐々に輪郭が見えてくる感覚。
いや、まだ輪郭は見えてないですよ!見えてきたような気がする、というレベルですが、明らかに以前よりは意識するようになりました。
若いうちは「落ち着いたらまとめてやろう」って忙しい日々に身を投じているだけでしたが、いつまで経っても忙しい日々は終わらない。
そのうち若くなくなって今までできたことがちょっと難しくなっていく。
このまま終焉を迎えるのか?とある種の恐怖を覚える。
「忙しいってなんなんだ!」とはたと気づき、手を止め、過去を振り返り、やりたいことを探し、見つけたものに手を出してみる。今この段階です。
今すぐ死ぬわけではないけど、ゴールがそんなに遠くにないと気づいたと同時に、時間には限りがあるとわかった、そんな感じでしょうか。
すると突然終わることも考えるようになりました。やはり時間感覚の変化です。
終わりに近づいているというよりは、それもこれも新たな一歩、チャレンジをやめない一つの気づき、そんな感覚です。
結局「死」を意識すること、死生観を持つことは「いかに生きるか」ということの裏返し。生き抜く方法を教えてくれてるんだなぁ、と感じます。
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