「ぼっち」は自由だ!
オリンピックが始まりました。
開始前はいろいろありましたが、始まってしまえばスポーツを軸として喜怒哀楽し、盛り上がるものではないでしょうか?
このように人は寄り添って、集まって、盛り上がるものです。
そこには人だけでなくお金も集まります。経済的な効果も発生し、さらにそこに人がもっと集まります。
以前こんな記事を書きました。
ただ現状から未来を見据えたとき、必ずしも物理的に集まる必要があるのかどうかは見直されつつあります。
わたしは群れで行動するのが苦手です。できれば一人で行動したいし一人でいたい。
3、4人集まって道をふさぎながら歩く人たちを見るとイラッとしてしまいます。
集団になったときのオラついた感情がイヤなのです。
一人でいるときよりも複数人でいるときの方が気持ちが大きくなります。
自分だけではない、他にもいるんだ、という気持ち。
時と場所を共有することで不思議と力がみなぎる、まさにこれが人の習性だと思います。
わたしもその恩恵に預かっている一人ですが、集団こそが勝ち組、っていう感覚は好きになれません。
そもそも私たちは集団にならずとも、普段から人の交わりの中にいます。
必ずしも人の集まるところにいるわけではありませんが、組織を通じて、ネットを通じて、人と交わって生きています。
仕事場にいるすべての人と話すことはありません。でも、各人の役割に応じて繋がっています。
顔も名前も分かりませんが、SNSでなんらかのコミュニケーションをとっています。
買い物だってお金を通じて人とやりとりしているではありませんか。
すべて人とつながっている行動です。
特にインターネット技術によって、集まらなくても人と繋がることが可能になりました。
ネットショッピングもそう、Webミーティングもそう、YouTubeや VoicyなどのSNSもどんどん進化している。
集まらなくたって集まることができるのです。
ということは、何も集団行動する必要はないのです。
一人が好きな私にとってはたいへん居心地の良い世界。
と同時に、一人の時間も便利さのあまり結局一人ではないということになってしまいました。これは由々しき事態かもしれません。
もっとも、そんな時間はトイレの個室やお風呂の時くらいしかありませんが!
ただし、あえて集まる必要がなくなったとしても、人気のスポットには行きたいですね。
人気とは人の気配のあるところ。そう、結局人の集まるところです。
そんな中わたしが期待しているのは、お一人様でも人が集える世の中、です。
仲間を募ってワイのワイのと集団行動せずとも、自分の好きなとき、好きな場所へスマホ片手に繰り出す。
スマホでいくらでも共有できるじゃないですか。これってとっても気楽でいいですよね。
わたしは野球観戦が好きです。
ネットを駆使すれば現地に行かなくても途中経過を共有できます。
でもやっぱり現地に行きたいのです。
一人で観戦することを「ぼっち観戦」とか言いますが、結構増えてきました。
これは喜ばしいことです。
人それぞれ、一生懸命応援したり、選手を大きな望遠レンズで撮っている人もいるし、ビール飲んでいる人もいる。Twitterやりながら観戦したりして。
それでいいと思っています。とても自由です。
もっと進んで「ぼっち観戦?それって普通でしょ?」っていう世の中になったらいいな。
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