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食のありがたみを感じられる人でいよう

あなたは好き嫌いがありますか。私は基本なんでも食べる性分です。食べ物の有難みを感じながら育ったため、苦手であっても、出されたものは、きちんと食べる方です。

我が子も好き嫌いはほとんどありません。あるとすればトマト。あの水っぽさと触感が、どうも苦手のようです。高知はトマトが非常に美味しいのですが、どんなに美味しいトマトでも顔を歪めるほどです。とはいえ、嫌いなものはトマトのみ。今後、結婚することがあっても、相手に迷惑をかけることは、基本的にないと思われます。

そんな我が子に反して、我が主人はとにかく好き嫌いが多い人でした。主人の母親は、祖母が甘やかしたとしきりに言います。しかし、そういう問題ではありません。自分の親がどんなに甘やかそうとも、親は子供に食の有難みを伝える必要があると私は考えています。

もちろん、アレルギー的なものがある人は別ですが、普通に食べられるのに、苦手だから、好きじゃないからと、偏った食生活をしていると、いつか必ず、カラダに影響があります。

そんな主人が糖尿病になるのは当然に流れだったのかもしれません。とにかく、好き嫌いが多いため、若い頃は本当に苦労しました。挙句の果てに、息子にも食べさせないようなことを言い始めたときは、さすがにキレました。「あなたは嫌いかもしれないけど、この子は分からないでしょ」と。

実際、我が子はトマト以外の好き嫌いをしない人に成長しました。本当に良かったです。自分が嫌いだからと、作ったメニューに文句を言ったり、自分が苦手なものを入れないように誘導しようとしたりする人間ではありません。そのような行為はあまりに子供じみていますよね。

糖尿病を発症して、健康診断でさまざまな数値の異常。自分でも感じるカラダの不調、医療費の増加に、ようやく、これまでの自身の食の有り方が悪かったことに反省しはじめた主人。不調があまりに続くため、危険を感じたようです。まだ死にたくないと思ったのでしょう。今では、苦手なものであっても、残さず食べるようになりました。発症してしまった糖尿病は二度と治りませんが。

嫌いなものを食べる際、もちろん、顔を少し歪めることもあります。ですが、そんなことを言える立場ではありません。食生活を変えることによって、健康を取り戻してきた事実。それは目に見えて自分でも理解しているようです。残さず、食べるようになったのは進歩です。

宣言として、食に関して文句を言うことがあれば、今後二度と作らないと私は断言しています。厳しいようですが、これは主人を思うからこそです。

両親は「もっと好きなモノ食べさせてあげればいいのに」と言いますが、それは、本当に主人のことを考えていない証拠であり、あくまで他人事として言っているだけ。本当にかわいそうなのは、不健康のまま、これからずっと生きていかなければいけない、ということなのです。

飽食時代。加工食品の台頭で、カラダに悪いものや、選り好みをし、偏食を続けている人もいると思います。ですが、私は言いたい。

『もっと自分を大切にしてあげて下さい』

と。カラダの代わりはありません。そして、治らない病気があるのも事実です。あなたがそれにならないという保証はないのです。

誰しも健康に楽しく生きていきたいと思います。ですが、医療には限界があります。手遅れになる前に、今からでも食を見直してみませんか。

今日は主人が不在のため、夕飯は思い切ったことができます。主人がいると絶対にできない玄米100%を決行です。そして、主人の嫌いなラッキョウを添えて食べるつもりです。

考えてみれば、家族のために気遣う料理をするのは本当に大変。ですが、自分のために作る料理は、そこまで気遣う必要がありません。好き嫌いもありませんし、シンプルに自分が欲する栄養に関してだけ考えればいいのですから。それだけ、日頃は家族を思って作っているということです。子供の頃、親や祖母にご飯を作ってもらっていたことは、当たり前ではなかった。今、改めて感謝です。

食べられることに感謝しつつ、この夏を乗り切っていきましょう。

健康は食から。

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