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【雑記】眼鏡の話。

大学二年の冬に買った眼鏡。
人生で初めて身につけるもので一番高価な買い物をしたのが眼鏡だった。
使い続けて丸四年とちょっと。
ついに寿命を迎えてしまい、お別れすることになった。

お別れする眼鏡との出会いは私にとってとても思い出深いものなので、今回私の目になってくれていた眼鏡への感謝と謝罪を込めて、記録しておこうと思う。

Eurekaとの出会い

この眼鏡を手にしたのは、完全に不要不急のタイミングだった。
大学一年生のとてもフレッシュだった私は、高知市の中心商店街を探索していた。そこで見つけたのがEurekaだった。

佇まいがとにかくお洒落で、大きな窓からは如何にも素敵な方がお掛けになられていそうな眼鏡が並んでいた。
数か月、店の外から眺め続けたのち、芋臭かった高校時代初めてスタバに足を踏み入れたときと同じくらい緊張しながら店のドアを開けた。

お洒落な眼鏡がずらりと並ぶ。
レンズに貼られた価格はどれもかっこよかった。

店員さんはいつも気さくで「見るだけでも大丈夫ですからね」「何度も通ってゆっくり決めたらいいんです」といつも優しく声を掛けてくれた。

バイトで10万貯めて、ここで眼鏡を買うんだ――。

一つの目標ができた。

お辞儀をすると重さで地面へ落っこちる眼鏡。
鼻が低くていつも小鼻のところで支えられていた眼鏡。
重さで私の耳を引きちぎろうとする眼鏡。
笑いを誘ってるのかと疑うほど、フレームが大きすぎて顔の輪郭を歪ませてくれやがる眼鏡。

そんなお騒がせ眼鏡ライフに終止符を。
そして、自分が納得した眼鏡を大事に大事に使っていくのだ。

札束を握りしめて来店したのが一年後。
店員さんとは顔馴染みになり、Instagramも繋がったこともあって「屈橋くちはしさん」と呼ばれるようになっていた。

「今日は! 買いに来ました!」

たぶんそう言ったとき、顔は真っ赤だったと思う。
店員さんはいつもと同じ笑顔を向けてくれた。

どうせいい買い物をするなら、とことんこだわりたい。
なんとなく店員さんに流されがちだったり、現実の自分よりも理想的自分に近づけるために盲目的に似合わないデザインを選んだりして事故を起こしていた私。

「実は、眼鏡かける時に――」

悩みも分からないところも全部話した。
店員さんは、いつもの服装や髪型、顔の形を考えながら「これならこれ」「それならそれ」といくつか提案してくれた。

落ち着いたのは、かの有名なジョン・レノンが掛けていたという。OLIVER GOLDSMITHの眼鏡。
びっくりするほど軽く、アンティークゴールドを思わせる色味で細いフレーム。ラウンドとボストンの間のようなやわらかい形。

フレーム代、3万ちょっと。
レンズ代、3万ちょっと。
合計、6万ちょっと。

大学二年生の私にとって、とても大きな買い物。
念願のこだわって買った眼鏡。
口許は緩みっぱなしで、明らかに「機嫌よさそうだね?」と言われそうな顔をしていた。

身につけるものにこだわる。
私にとって最初のきっかけになった。

眼鏡との4年間

この眼鏡を買ってから、自分の顔にも見慣れてきたころ。
たくさんの苦難をこの眼鏡と乗り越えた。
大学の青春的な苦難ももちろんあるが、物理的苦難が多かった。

お世話になっている町内会が入っている区民運動会へ参加したときのことだ。

「竹取物語」という種目に参加してと言われるがままに参加した。
中央に置かれた竹を味方チームと共に引っ張り、自分の陣地に入れたら勝ちというもの。
もちろん、相手チームも必死で引っ張る。
言うなれば、綱引きの竹バージョンである。

「竹取物語」と言うから、かぐや姫のように可憐だと思っていたのに、現実はそんなに甘くなかった。

片手では持てない太い竹。
相手チームは屈強な白人男性複数人。
味方チームは人生の困難を乗り越えてきた主婦方。

勝負の結果、言葉通り、ぺちゃんこにされた。

引っ張られる竹、倒れていく主婦方。
それでも踏ん張る主婦方。
その下敷きになる私。

全身に足跡がくっきりついた。
そして眼鏡は漫画でしか見たことがない演出と言わんばかりに曲がっていた。

幸い、直せたのでよかったが、店員さんにとても申し訳なくなった。

この事件からも、眼鏡には苦難が降りかかった。

ミュージカルの練習中、メンバーの手が顔を襲う。
飛ばされる眼鏡。
落ちた拍子に違うメンバーに踏みつけられる眼鏡。
しょんぼりしながら修理に行く私。

この日を境に練習中や運動中はコンタクトを使うようになった。

そこからも部屋の床やソファでうたた寝していると、パートナーに足やお尻で踏まれて眼鏡が悲鳴を上げることもしばしばあり、何度目かのメンテナンスのとき「今度やったときは、金属疲労の限界を迎えます」と忠告された。

それから二年。
大学を卒業し、高知を離れ鹿児島で社会人生活を始めた二年間は、眼鏡に大きな負担をかけることなく過ごした。

しかし、別れは突如やってくる。

鹿児島から北海道へと引っ越す前日。
現場は実家の自分の部屋の布団。
私はパソコンのシャットダウンの如く意識をぷつりと切らしてスマホ片手に眼鏡をかけたまま深い眠りについた。ただの寝落ちである。

この寝落ちが事件を引き起こした。
起きたとき、眼鏡は顔にはなく、腹で潰していた。
声にならない叫びとはこういうときに出るものだ。
テンプルの傾き加減が異常な状態で発見された。

このタイミングで――?!

明日には飛行機に乗って鹿児島を出るこのタイミングで?!
スペアは運転中のサングラス兼用で使っていた眼鏡のみのタイミングで?!
諭吉様が猛スピードで口座から出ていくこのタイミングで?!

どうにか修理できないかと知り合いがやっている眼鏡屋に行った。
「やってみるね」と言われて数分後、完全に付け根の部品が割れてしまったテンプルを見せられた。

ジ・エンドである。

大人げなくしょぼくれる私のために、折りたたまなければ少しは生き長らえる状態にネジを閉めてくれた。

「時間稼ぎだよ」と言った知り合いの言葉は本当だった。
お別れしたくない眼鏡は気をつけていてもどんどん緩んで、ブリッジが鼻の付け根に食い込んできた。

本当にお別れだ。
悲しくてInstagramのストーリーズに載せた。
大好きなパン屋さんのOさんが「大切にしていたものが壊れる時って運気が上がるタイミングやから、ポジティブに捉えて感謝して送り出してあげてね」とDMをくれて、元気が出た。

新しい眼鏡との出会い

北海道に引っ越して一週間。
さっぽろライラック祭りと眼鏡新調という私の一大事が被る中、いざ札幌へ。

目指した場所はPORKER FACE札幌店。
ORIVER GOLDSMITHを取り扱っているとの情報を掴み、美唄駅から特急に乗って30分。徒歩15分で辿り着く。

どんな眼鏡にするかはあまり決めていなかった。
店員さんと話しながら決めようと思ったからだ。

声を掛けてくれたのはクリアフレームが最高に似合う女性スタッフのYさん。
軽い眼鏡がいいことや服と馴染む眼鏡がいいことを話すと、数本提案してくれた。
いくらか試着したあと、ぽつりとORIVER GOLDSMITHが名残惜しいことを話すと、閉まっている棚の中からOG×ORIVER GOLDSMITHの眼鏡を出してくれた。

「今はもう入荷しなくなって。これないの?って声を掛けてくれたお客様にだけ出すようにしてるんです」

もう運命である。

アンティークゴールドのメタルフレーム。
ボストンとキャットアイが融合したような形で細かな装飾にテンションが上がる。
少し個性があるのに、ちゃんと馴染んでくれる。

「めっちゃ似合います」
「これでお願いします」

満面の笑みで即答だった。

新調した眼鏡

出来上がりは10日ほど。
電話で完成を伝えられ、翌々日にまた特急に乗りオープン間もない時間で受け取った。
嬉しすぎてその場から掛けていくことにした。

男性スタッフが丁寧にテンプルを曲げてフィットさせてくれた。

「お似合いです」
「ありがとうございます」

ご満悦である。

その日はいくつかの予定を組み込み、その日一日新しい顔で札幌の街を歩いた。

自分サイズのこだわり

機械的な感じじゃない。
つけないといけないから、つける。
もちろん、それは大前提だけど、気分を上げてくれて自分の生活に寄り添ってくれる眼鏡が好きだ。
こだわって選んだあのときの記憶が、胸の高鳴りが忘れられないのだ。

こだわることの楽しさを知ってしまった今、楽しさを知る前の無愛着感も「この眼鏡飽きちゃったな」という想いもなく、ただこの眼鏡と一日でも長く過ごせたらいいなと思う。

また一つ、大切なモノができた胸の内はとても満たされている。


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