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お釈迦様の対機説法 〜学問・教育の極意〜

九條です。

お釈迦様の教えは対機説法たいきせっぽうと言われます。

それは、

「難しいことが理解できない人には難しいことは説かない」

「難しいことが理解できる人には積極的に難しいことを説き示す」

という説法です。

なぜお釈迦様がこのような説法の方法を取られたのかと申しますと、

【対機説法の意義】
 ◎難しいことが理解できない人に対して難しいことを説くと、その教えを聞いた人は(勝手に自分流に)、自分にとって解りやすいように都合よく安易な解釈をしてしまい、教えの本質が捻じ曲げられてしまう恐れがある。

◎難しいことが理解できる人に簡単なことばかりを説いていると「なんだ、釈迦の教えって、この程度のレベルか」などと誤解され慢心される(増上慢となる)恐れがある。

という理由からです。

お釈迦様は相手をよく見て、難しいことが理解できない人には、けっして難しいことは説かず、逆に難しいことが理解できる人には積極的に難しいことを説き示されました。

お釈迦様は人を差別することが嫌いな、包容力のあるたいへん慈悲深い人でしたが、この点においては人を見る目(人の理解度のレベルを把握する目、人の心を見抜く目)は、たいへん鋭く厳しいものだったと伝えられています。

ごくごく単純にたとえれば、小学生にいきなり相対性理論を説明したとしても理解できませんね。小学生には小学生が理解できるレベル、中学生には中学生が理解できるレベル、高校生には高校生が理解できるレベル、大学生には大学生が理解できるレベル、研究者には研究者が理解しやすいレベルの話を…。

このように、相手のレベルに合わせて物事を説明すること、教えを提示することは非常に大切なことです。これは「差別」などではなくて理に適った、キチンと道理を弁えた「区別」であり、相手に対する最大限の「配慮」ですね。

仏教の教えの中に、解りやすい教えと非常に難解な教えとが同時に存在している(混在している)のは、このような理由からなのです。それは、お釈迦様がいろんな人、たくさんの人に説法をして廻られた(あらゆる人を救おうとされた)慈悲の痕跡でもあります。

この、お釈迦様の対機説法の方法論は現代でも、たとえば学校で学生さんたちにものを教えたり、職場で部下や後輩に仕事を教えたり…という場面で応用できるかと思います。

相手をよく見て、相手が理解できるレベルを把握して物事を教える…それは人にものを教えること(教育)の極意だと思いますが、その匙加減はとても難しいものでもありますね。^_^


©2024 九條正博(Masahiro Kujoh)
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