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古代仏教「唯識」の教え

九條です。

私が信仰し学んでいる仏教宗派の法相宗ほっそうしゅうは、今から1300年ほど前の奈良時代に隆盛した南都六宗のひとつで、現存する日本最古の仏教宗派となっています。

その教えは「唯識ゆいしき思想」「唯識ゆいしき哲学」と呼ばれ、人の心の在り方やその働きを観察し、思索し、人の心の本質、人という存在そのものの本質に迫ろうという教えです。唯識ゆいしき仏教とも言われます。

この法相宗(唯識仏教)の代表的なお寺は、奈良の薬師寺と興福寺です。

唯識の教えは、非常に複雑精緻な哲学体系を持っていて「学問仏教」とも言われるように、数ある仏教の教えのなかでも極めて複雑で難解な教えだと言われています。

しかしその教えを何十年もの時間をかけて少しずつじっくりと学ぶと、人の心の有り様やその働き、そして「心とは何か」「心とはいかなる存在なのか」ひいては「人とはいかなる存在なのか」と言うことが、言葉ではけっして表現できない、表現し切れないけれども「感覚」として理解できるようになると言われています。

ではなぜ、このような素晴らしい唯識の教え、すなわち法相宗があまり弘まらなかったのかと言うと、それはその教えが難し過ぎて理解できる人が少なかったからだと言われています。

後世(平安時代以降)の日本仏教の祖師たちの中で、ほぼ完璧に唯識の教えをキチンと理解していたのは弘法大師空海だけだろうとも言われています。

まだまだ私は勉強途中なのですが、私がこの唯識の教えと廻り逢えたのは遥か遠い過去世からの縁であり、それはきっと遥か遠い未来世までにも(すなわちこれから何度も生まれ変わっても)ずっと持って行ける私の心の宝物であり、歓びであり、幸せであるだろうなと感じています。

と、たまには真面目なお話しも。^_^

【参考記事】

2023 九條正博(Masahiro Kujoh)
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