望月ゆず

地方国公立理系院生 日々、考えたことをつぶやきます。 機能不全家族育ちの私が、日々、…

望月ゆず

地方国公立理系院生 日々、考えたことをつぶやきます。 機能不全家族育ちの私が、日々、悩んだことや、その原因や解決策を考えていく。 目標 誰もが自分らしく生きれる社会を健康という側面から支えていく ちなみに私と知り合いだった場合は、温かい目で見守ってください

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    機能不全家族の私が家族について考えること (ヒステリー母・モラハラ父・DV兄・妹の5人家族)

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泣いているあの子を私は見捨てれない

最近、過呼吸をよくおこしている高校生の女の子にあった。聞いていると、家庭環境が荒れていて、頼る場所もなさそう。 だから、適切な支援が私にはできるかもわからないが、最近ずっと夜電話をつなげて話を聞いている。ただ、こういう風にしたらっていうアドバイスを聞いてくれなくて、どうしようかな。知り合いに相談したら、ほっとけばと言っていた。そんなわけにはいかないでしょ。どうして、ほっとくなんて選択肢がでてくる?? 助けることに何のメリットがある??って聞かれたけど、助けることにメリット

    • 私は役に立たないといけない~そのままの私では愛される価値がないのだから~

      親から条件付きの愛しかもらったことがなかった。世界は優秀でないといけないところであって、弱者はすぐに見捨てられるい。兄のように。だから、弱みなんて見せてはいけない。役に立つ優秀な存在でいなければならない。 だから、研究室で私はつぶれた。 研究は、苦手だった。不注意傾向がある私には、長時間の集中力が求められる研究はすごく苦手だった。おおざっぱな性格の私には㎕の単位であるウイルスや細胞は扱うのがしんどかった。優秀な成績の人が集まる研究室で一度で説明が理解できない私はそれに追い

      • 「可哀そうな」母親からの脱出法

        「ずっと母親が可哀そう」って思ってきたから、母親の愚痴や悩み相談を聞いたり、八つ当たりを受け止めたりしていた。 でも、あとから、機能不全家族の勉強をすると、これは、母親と娘の共依存状態で問題らしいことを知った。 この共依存状態を解消するコツは、精神的に自立することらしい。ただ、ここで注意してほしいことは、謝る系の親だと、同情心や罪悪感にまけて距離を戻してしまうけれど、親は謝れば許してもらえると認識してまた同じことの繰り返しになる。そのため、謝られたとしても戻らない強い意思

        • 親と目指すべき関係

          機能不全家族の親と目指すべき関係性は、なんだろう?? 間違っても、仲良し親子を目指すのではなく、親のことが気にならなくなるレベルまで自身と親の距離を取れるようにすることだ。 5.60年今まで生きてきた親の性格なんてちょっとやそっとで変えれないし、変えよとしたら莫大なエネルギーをかけてしまって自分の人生に取り組めなくなる。だから、大人として親と目指すべき関係は、対等な大人として相手のことをみて、親を普通のおばさん、おじさんと見れるようにすることだ。 親といるとなぜか苦しい:

        泣いているあの子を私は見捨てれない

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        記事

          大人の反抗期のトラウマ返しが失敗したら、速やかに親を諦めて自分の人生に取り掛かろう。

          この前、大人の反抗期のすすめっていう記事を書いた。 ⇓ たぶん、大人の反抗期をやったなら、おおいに親から反撃されるだろう。 反撃されて、自分がダメージを受けるのは、馬鹿らしいので、親からの反撃されたるパターンと、それに対する自身のマインドの持ち方について書いておこう。 ①「私達も大変だった。」と被害者ポジションを親がとる。 <親の狙い> 子供に罪悪感を感じさせて、子供をコントロールする <自身のマインド> 親がいくら当時ストレスを感じていたとしても、そこに「子供の責任」は

          大人の反抗期のトラウマ返しが失敗したら、速やかに親を諦めて自分の人生に取り掛かろう。

          大人の反抗期のすすめ

          皆さん、反抗期って知っているだろうか? たぶんよく思い浮かべられる反抗期は、主に小学生の高学年から中学生の時に起こるものだ。反抗期は、子供が両親にたてつくため、親にとっては厄介な代物だ。しかし、この反抗期は、子供の成長においてとても重要なものとなる。 この反抗期は、以下の3つの効果がある。 しかし、反抗期が自分にはなかったという人もいるだろう。 では、なぜなかったのだろう。 理由は、4つ考えられる。 上記の②~④の場合、大人になってから以下の問題が起こりやすい。 では、

          大人の反抗期のすすめ

          怒りのすすめ

          怒ることが私は苦手だ。 母がヒステリックなタイプで、そのヒステリックを周りにぶつけるタイプだった。だから、私は、絶対、あーいう風にはならないと思ってきた。そのため、怒りを抑圧する癖がある。    ただ、心の勉強をしていると、最近、怒りは感じ切ったほうがいいと思うようになった。そして、喧嘩と他人に怒りをぶつけるという行為は、別物であり、きちんと人と喧嘩をできるようになりたいと思うようになった。結構、怒りという感情は悪者にされやすいが、怒りという感情は自分の奥の感情につながる大

          怒りのすすめ

          やっと実家の時間が進み始めた

           最近、少し地元に戻っているんだけれど、地元の行く先々の記憶が地元を出たころで止まっていることに驚く。そして、それは高校の荒れてた頃の実家のイメージもそのままで。  それもそのはずか。大学とかの長期休みでさえ、3日間とかしか、地元にいつも帰ってこなかった。その3日間もほぼ友達か妹の遊びに費やして、その一日の夕飯だけ、家族とご飯か買い物に行くぐらいだったもんな。3日目以降は、母親が機嫌が悪くなり、私にその機嫌の悪さは向く。だから3日以上、地元には帰らないというルールが私の中に

          やっと実家の時間が進み始めた

          助けを求めるのが下手なのかもしれない

          最近、私は、もしかして助けを求めるのが下手なのかもしれないと思った。 相変わらず、根本さんのブログにはまっているんだけれど、下の記事を見つけた。そして、私じゃんとなった。 助けを求めたのに助けてもらえない私はどうしたらいいの? – 根本裕幸 (nemotohiroyuki.jp) 幼い頃から、母は、色々なことで参ってたし、父も仕事忙しそうだし、妹体弱いし、幼少期に「自分で何とかするしかない」と思って、助けを求めても無駄」という意識を持って生きてきた。だから、あんま、人への

          助けを求めるのが下手なのかもしれない

          突如、親と和解した

          機能不全家族の話は、これでおしまいにしようと思う。 題名の通りなんだけど、親と突如和解した。 DV兄と仲良くするように言ってくる両親とうちはやっぱぶつかるしかない|人生迷走中 (note.com) 前にこの記事を書いてから、差し違える覚悟というかもう嫌われてもいいから今までの気持ちを伝えよう、伝えても分かってくれないならもうそれでいいやと思って、自分が今まで親にされて嫌だったことを言った。 それから、親の態度が変わって、びっくりした。 今まで、嫌なことがあったら、私

          突如、親と和解した

          DV兄と仲良くするように言ってくる両親とうちはやっぱぶつかるしかない

          帰省するたびに親に言われることがある.兄と仲良くしろと。 <母>(1年前) 私が妹と戯れてた時に、母が急にヒステリーおこしながら私達妹のところにきて、 母「なんで兄と仲良くしないの?お兄ちゃんだけ仲間外れにしてかわいそうやろ!!」(なぜかいつも母は急に怒ってくる。そしてその理由は私たちと大抵関係はない。笑笑) 「~~~~~~!!~~~~。(なんかよくわかんないことを叫びまくってる。)」 私・妹「・・・・・。(何言ってんだこの人と思って、とりあえず母のヒステリーが収まるまで無

          DV兄と仲良くするように言ってくる両親とうちはやっぱぶつかるしかない

          仲いい家族がデフォルトな人に自身の家族について話すべきかわからない

           人として尊敬している人がいるんだけど、最近、その人と話すのが少ししんどい。  人間関係とかの悩みの相談もこっちのみになってくれるし、キャリアの考え方とかも結構、勉強になるし、自分にはもっていない価値観や経験とかを話してくれて参考になることが多くて、人として尊敬している人がいる。  ただ、その人と家族への価値観だけが一向に合わない。あわないというか、価値観の違いにもやもやする。  私は、結構、「人ってどんな考え方をもっていってもOKだよね」って考えをする人間で、自分と違

          仲いい家族がデフォルトな人に自身の家族について話すべきかわからない

          結婚や子供について考え始めて、親への感謝が大きくなってきた

           最近、友達が妊娠したり、知り合いの女性が結婚にゴールインしそうな話や、素敵だなと思っている既婚者の男性達からの結婚生活の話を聞くことが多くて、そんなに結婚&子育てがいいものなら自分の人生設計にもそういう計画を入れてもいいのではないかと思い始めた。金銭面などを考えた具体的な人生設計を立てていると、あんなにブログで「やいやい親なんて嫌いだ」って言ってたけど、親になんか感謝しか生まれなくなってきた。   ことの発端は、中学の親友に「将来こんなことをしたいんだよね」的なことを話し

          結婚や子供について考え始めて、親への感謝が大きくなってきた

          「誰も私たちを助けてなんてくれない」って小さい頃思ってたのを思い出した。

           私の友達の家は、家庭内DVがある子が多かった。  でも、警察も自身の周りの大人も助けてくれなかった。私も、その友達を助けれなかった。自分なりにできる限りのことは助けた。  だから、無意識のうちに誰も私たちを助けてなんてくれないって思っていた。  ふと知り合いとの話で、私は日本の政府や警察が嫌いだって話をして、なんでだろうと思った時、これを思い出した。

          「誰も私たちを助けてなんてくれない」って小さい頃思ってたのを思い出した。

          家族というものに苦手意識を持っていた理由

           私が家族に苦手意識を持っていた理由を最近、自分の中で言語化できたのでそれについて書いていきたい。  私は、もともと結婚願望がなかった。なぜなら、家族という隠蔽性の高い集団が怖くて仕方なかったんだと思う。社会に出たら許されないことが、家族という集団の中では許される。家族ってなっただけで、警察は、民事不介入になる。それが怖くて仕方なかった。家庭内DVもモラハラも家族ってだけで、許される。それが嫌だった。  ただ、子供の時では、家族になりたい親を選べないけれど、大人になった今

          家族というものに苦手意識を持っていた理由

          自分と自分の子供は他人でありたい

           母親を見てて幼いながら思っていたことがある。それは、絶対に男性なんかに頼らなくてもいい人生にするってこと。  母は、いつも父や父の親族、仕事に振り回されて大変そうだった。だから、自分でなんでもできるようになってやるって幼いながらに心に誓った。  昔から自分の家族が欲しいと思ったことはなかった。だけど、小さい子は好きだった。だから、昔から冗談で妹に将来は私の家にいといて、ご飯も生活費も身の回りの面倒も全部見てあげるから。そして妹が結婚したら、その子供を私の養子に頂戴って言

          自分と自分の子供は他人でありたい