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APD。

現状、日常生活を送る中で、ほぼ毎日厄介だと感じているものに、聴覚情報処理障害(APD)と言うものがある。
仕事中も、電話だとちょいちょい不便なんだけど…
少なくとも今の会社は、ありがたい事に、電話音声は全件録音有&(ある程度は)リアルタイムで音声の文字列化の機能もあるので、不便なだけで大きく支障を来すこともない状況だ。

今の会社、一部業務システムがちょいちょい神っていて、他社と比較して、とってもやりやすい所がいい感じだ。

【リアル世界で関わる皆様へ】
既にSNSにも記載していますが、私に関わる方々におかれましては、ざわざわした場所や、屋外やお店の中あるいは乗り物の中(特に車)など。
少し大き目な声もしくはハッキリと、ゆっくりお話ししていただけると、何度も聞き返す事なく、比較的コミュニケーションが取りやすいと思います。

それでも、この状況を開示した事はまだ少ないので、開示して、どこまで外でのコミュニケーションが円滑になるかは未知数です。
2回3回…複数回、言葉を聞き返してしまったり、静かな場所での会話以外では齟齬が出やすくなってしまう状況がある事はご理解頂けると大変ありがたいです。

画像はAPDマークサイトさんからお借りしています。

※ここから下は、いつものように経験則や感覚をダラダラ書いていくので、興味のない方は読まなくて大丈夫です。

このAPDという言葉や概念を知ったのは、ここ1ヶ月位の事なので、まだまだ勉強中です。

このAPDというやつのおかげで、外やザワザワした場所、乗り物の中での人との会話は、途中でマジで聞き取れなくて噛み合わないor会話終了…と言うのはいつものお約束だ。

一応、人といる時は、その人の声に全集中…
それこそ、ピアノを弾く時、楽器を聴き分ける時、耳コピをする時と殆ど同じような耳の使い方しているんですが、なかなかザワザワした場所では困難を極める。
楽器であれば、ある程度触覚や視覚も使ってなんとかなることも、言葉だとそうはいかないので、そこが難しい所なのである。

聴感覚について”も“、当方は特殊な訓練を積んでいます。。。

みんな、カクテルパーティー効果というスペックが標準装備されていて、それを用いてコミュニケーションを取ってるらしい。
みんな便利な能力を持ってるんだなぁ。

こちらはマジで他人との外でのコミュニケーションの障害になっていて、割と洒落になっていない事は自覚しているので、今後は開示していきます。

※ちなみに母親及び母方の血筋は全員声がアホみたいにデカいので、その点に限っては不自由をしたことがない。(あの人たちは別な意味で面倒ではあるのだが…。親戚集まるとその名の通り”ピーチクパーチク“状態です。)

この耳の聞き取り辛さをハッキリ自覚したのは、中学生の頃だ。

教室でクラスメイトとお話ししていても、声の大きな人や喋り方がハッキリしている人以外の言葉が聞き取れない事に気づいた。

だけど、そもそも声の小さい他人とのお話は、物心ついた時からイライラしがちなので、中学になる頃には、声が聞き取れない人とお話をする事ってあまりなくなっていた。

中学1年生の時の担任は女体育教師で声も身体もデカかったし。
中学2〜3年生の頃の担任は国語教師。声量は普通で穏やかめな話し方だったが、比較的ゆっくりハッキリ喋る先生だった。

バレーボール部の部活は、練習試合や大会になると、監督の指示が聞き取り辛くて、耳だけを頑張って傾ける事はあったが…それでも、指示の声は大きめで全く聞き取れない訳ではなかった。
基本的には練習はバレー部は学校周辺の体育館を借りて貸切で練習していた為、バレー部だけの声が大きめに響く場所では不自由はなく。

ザワザワした場所でのクラスメイトの声が聞き取れないとは言っても、中学生の声なんて基本的にはデカいので、そこまでコミュニケーションに困る事って、稀だった。

ところが中学を卒業すると、この不便さはかなり日常的に感じる様になる。

まずクラス担任が、ハッキリ喋らない。
そして常に不機嫌そうだったので、聞こえない&態度悪いで、ただのストレスだった。
そんな状況だったので、クラス担任とのコミュニケーションは、高校2年になる頃には放棄していた。

0w0(仮)「担任この人の言ってる事、意味不明〜。えんがちょ。」

…な態度をあからさまにとっていた。17歳〜18歳の0w0(仮)である。

部活の時も…
バレーボール部と違い、弓道部はそこまで大きな声を出す必要はない。
強いて言うなら、部活前後の挨拶、矢取りの掛け声、味方が的中した時の掛け声くらいだ。
当然先生の声もそれなりの声量になる。

道場でのミーティングなら聞こえる。
何故なら道場は静かなものだからだ。

しかし、これが外でのミーティングともなると話は変わる。
周囲の騒音で全てかき消されるのだ。

いつだったか、監督に言われたことがある。

監督「お前は、俺にかならず2回同じことを言わせるよな。」

私はこれを1回目に言われた時に、ほとんど聞き取れなくて、もう一度言ってもらった所で、やっと聞き取ることができた。

0w0(仮)「耳が遠くなりがちで、外での声が聞こえないんです…」

こんな返事をすると、監督はこんな事を言ってきた。

監督「耳が遠い?何言ってんだ。馬鹿だから理解ができないんだろ(笑)」

私はこれを言われた瞬間に、この話について理解してもらう事を放棄した。
「ハハ(笑)すみませーん!!」と言って、会話終了。
こんな程度のこと、いちいち傷ついていたらキリがない。
既に小学生の頃から斜視の事で他人様からアレコレ言われた経験を持つワタクシだ。
”身体的特性”を説明しても、理解できない人は、何かと理由をつけて貶して来るので、相手にしないのが吉なのだ。

しょんぼりしない訳じゃないけどね。

そもそも聴力検査はいつでも異常はなくて、その上で異常に音に過敏になることもある。
長年マジで謎現象だった。
なので当時の自分は、当然自分で説明する事はできる訳がない。
根拠の説明が困難を極める以上、決めつけてくる人間に何かを言うのは、経験上返って面倒な事になる事だけは既に理解していた。

とりあえず私は中学生時代に、合唱の伴奏をする度に、伴奏曲を耳コピして、イヤホンで何時間も毎日音を脳に刷り込むと言う方法でピアノを弾いていたので、それが影響して、聴覚に異常を来してしまったのではないかと、つい最近までは考えていた。

しかし高校の弓道部では、私がピアノを弾くことを知る先生と部員は1人もいない。
そんな経緯&仮説から説明するのは面倒だったし、弓道の時間にいちいちそんな事をする必要性も感じなかった。
そして何かとすぐに人に”馬鹿”と言う人に対して、相手とっての”馬鹿”のレッテルを剥がす作業も非常に面倒&不毛に思えたので、別にいいかな?…と考えた。

そして、当時はある意味開き直っていた、と言うのもある。
先生相手だったからこそ”こう言う開き直り方“は、ただでさえ言語能力が低い私にとっては、関係性を悪くしないために最適解でもあったのではないか?と今でも思う。

0w0(仮)「えぇ。馬鹿ですよ!!馬鹿なんで、解るまで説明してくーださい!!」

当時、監督は”0w0(仮)と話すの疲れる“なんて陰口を言っていたのを聞いたが…
そりゃぁ、そうなんだろうな…とは思った。

私としては、面倒だと思うなら、初めからハッキリ大きな声で話してくれよ。とも、同時に思う訳だ。

だけど私には説明力はなかったですし、監督には理解が無かった。
そして当時は、この事を理解してもらうよりももっと重要な事があったので、自分は思いっきりスルーしていた訳だ。

(この高校時代のエピソードを見て“監督は最低だな”と感じた人はいると思うが、普通に生活しているだけなのに、不自由さを感じつつ、この不自由さの結果、理解の及ばない人達から心ない言葉を普通に言われてしまうから、障害なのだと私は思ってしまう。)

そんな私は高校を卒業して、社会に出てしばらくしてから音楽を再開することになる。

音楽再開時に考えたことは、楽譜を読める様になろうということだ。
”コンティニュー“ではなく、”はじめから“という選択肢を選んだ。
この理由は完全に、この自分の聞こえ方による理由でしかなかった。

音楽をやる上で、この聴き取りづらさが何らかの障害になった事は、昔も今もない。

だけど人の話の聞き取りづらさというものは、特に高校生くらいの時から明らかに他人とのコミュニケーションに弊害を感じていた。

「これ以上、聴こえなくなったら不味い。音楽どころの騒ぎじゃなくなる。それは嫌だなー」

そんな事を考えて、私は楽譜を読もうと決めた。
このAPDがなければ、おそらく私のスタンスは未だに耳コピ主体のままだっただろう。

お陰様で、現在は楽譜に対する苦手意識はあれど、楽譜見せられて逆毛が立つほどの鳥肌が立つ事は稀になった。


それでも依然、生活には非常に不便だ。
というわけで現在、APD対策のノイズキャンセリングイヤホンを探し中なのである。

聴覚過敏対策としては、イヤーマフや耳栓、BOSEのノイキャンヘッドホンを駆使していますが、それらは音を遮断し過ぎてしまって、おそらくは他人との会話に使えない。

周囲の雑音を抑えて、一緒にいる人の声を拾いたい訳だ。

いいイヤホンがあれば、欲しいものだけど…
しばらくは相性のいいイヤホン探しに明け暮れそうな気がしている。

これは親の声がデカくて、外での親との会話に一切支障がないと、親が気づくのは不可能ですよね。


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