やまとた

名は体を表す。山と田をフィールドに、社会や環境に右往左往することなく、過度に依存し過ぎ…

やまとた

名は体を表す。山と田をフィールドに、社会や環境に右往左往することなく、過度に依存し過ぎず、うまく調和しながら、生きていく道を探しながら、はや30年。死ぬまで探し続ける所存であります。

最近の記事

愛してみる

父さん、母さん、育ててくれてありがとう。と、2024年ほど感じた年はなくなりそうだ。父は84歳、母は81歳。これまで色んな病におかされながら、幾度も乗り越えて今に至る。今も足腰や内臓に爆弾を抱えていて、決して健康とは言い切れないが、普通に話したり、ご飯を食べたりできるのは本当に幸せなことだ。 今、僕が住む家と両親が住む家は666km離れている。一見オーメンのようだが、逆にゾロ目で心地良さが勝つ。最近、徳島の知り合いが666をポジティブに捉える投稿をしていたが、同じ気持ち。何

    • 名付けてみる

      名前を考えるのは好きだ。イベント名だったり、グループ名だったり、プロジェクト名だったり。昔組んでたバンドの名前は僕の案が採用されなくて悔しかった記憶がある。今でも「ピンサーズ」はかっこいいと思う。なんせ蟹のハサミだからね。 それはさておき、名前ってなんだろう?と考える。誰かに何かを伝えるための最初の入り口、ずっと覚えてもらうためのサイン、場合によってはカタチとして心に刷り込むロゴ。世の中にはたくさんロゴがある。 えーと 伝えたい“誰か"は一体どんな人? 伝えたい"何か"は

      • 染めてみる

        「暮らす」を構成する衣食住。 いっちゃん最初の文字なのに、何故かこれまで「買う」という行為でしか、「衣」にアクセスしてこなかったように思える。 近隣でイベント的に開催される「草木染め」、昔の徳島では大きな産業だったという「藍染め」、2022年には文化財施設の企画で「玉ねぎの皮染め」なんてのにも参加した。糸を紡いだり、布を織ったり、服をデザインしたり、というのは遠い世界のようだが、布を「染める」なら自分でもできるのでは?と距離が近く感じた。 その少し前、2021年に訪れた雲

        • 登ってみる

          昔から山は好きだった。といっても、がっつり装備が必要な登山ではなく、Tシャツ半ズボンで裏山に遊びにいくみたいなことだ。田舎育ちだったせいか、子どもの頃の遊びは山か川がメインだった。春は山菜、夏はクワガタ、秋は栗拾いのようにパターンはだいたい決まっている。 春の山菜は「ぜんまい」を見つけるのが好きだった。おばあちゃんについていきながら学んでいった。あの綿毛のフォルムが好きだったわけだが、まさか繊維としても使われていたことを知る。 夏は昆虫。特にクワガタ系。子供の頃はどんな樹

          削ってみる

          グリーンウッドワークという言葉がある。生木を削って、スプーンやボウルをつくることだ。樹木を切り倒して建築に使える立派な建材にするには、材料となる「木」に一定の直径や長さが必要となるし、乾燥という行程、保管場所、加工設備など、僕みたいな素人には想像もつかない道のりに思える。ところがグリーンウッドワークは、生木を削ってスプーンにしましょう、という初心者でもとっつきやすい行動に思える。 岐阜県の森林文化アカデミーの活動が素敵で、久津和先生の書いた本から学ぶことにした。 イギリス

          つくってみる

          1999年に社会人になって4年間、農業試験場みたいな仕事をしてたので植物や土には触れていたが、その後20年近くは事務仕事と会話仕事がメイン。農家さんと他業種をつなぐことはあっても自分の手で土を耕やすことはなかった。 2019年、農村で一人暮らしのおじいさんの家に居候させてもらうことになり、ようやく里山暮らしが始まる。まずやりたかったのは畑。それまで頭のなかで育てていた植物たちを土と手で育ててみたかった。地域が持て余してる畑の一部を管理させてもらうことになり、色々と試してみた

          つくってみる

          遡ってみる

          歳をとるにつれて里山に興味を持ち出したのはなぜだろう。高校時代は早く佐賀や嬉野を出て都会に行きたかったはずだ。 もっと遡ってみると小学校時代、1,000人越えの学校でクラスは6クラスあった。今は校舎は建て替わっていて、ネット検索しても僕が通っていた旧校舎はでてこない。ボールが校舎の前に引っかかって屋根から飛び移ったら一瞬ヒーローのようになったことや、瑞光寺の写生の時間にお菓子を買って食べて担任にめちゃくちゃ怒られたこともその時代。 僕が住んでいたのは、1974年から199

          遡ってみる

          書いてみる

          NOTEのアカウントを取ったものの放ったらかし。ずっと閲覧専用だった。4年ほど前に年始の抱負を「書くか、描くか、奏でるか」としたのを思い出す。その時も放ったらかした。要するに計画的なモチベーションを維持できないタイプなのだ。それよりも瞬間的に、畑やりたい、とか、木を削りたいといった衝動で動くタイプなのだ。それはそれで大事な感性だと思うが、40代後半になるとさすがにこれでいいのか?と反省することがある。 思えば、こんな感覚を強烈に教えてくれたのは、西村佳哲さんの2009年の名

          書いてみる