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名付けてみる

名前を考えるのは好きだ。イベント名だったり、グループ名だったり、プロジェクト名だったり。昔組んでたバンドの名前は僕の案が採用されなくて悔しかった記憶がある。今でも「ピンサーズ」はかっこいいと思う。なんせ蟹のハサミだからね。

それはさておき、名前ってなんだろう?と考える。誰かに何かを伝えるための最初の入り口、ずっと覚えてもらうためのサイン、場合によってはカタチとして心に刷り込むロゴ。世の中にはたくさんロゴがある。

グローバルからローカルまでいっぱい

えーと
伝えたい“誰か"は一体どんな人?
伝えたい"何か"は一体どんなこと?
それを端的に示すものになったり、自身のアイデンティティを表すものになったり、時には、あえて造語にして対象となる人の頭に「?ハテナ」を浮かべさせたり。

数年前から、残りの人生の限りある時間を捧げるマイプロジェクトについて考えるようになった。農村で生まれ育ち、田園回帰現象か、40代を越えてまた農村に帰りつつある。

しかし悩ましいのは暮らしていけるのか、ということ。そんな考えがよぎること自体が恥ずかしいのだが、これが自分の弱さ。音楽の時と同じだ。いやー尖りきれなかった。

27歳の若僧があがく

まずは「脱お金」だ。お金に依存しない、お金がなくても楽しい、そんなメンタルを鍛えたい。となると代わりのものがほしくなる。人だ。人がいるとなんか楽しくなるはず。人との縁をつくるプロジェクト。共感から縁をつなぐ「えんぱし」、戦争っぽくもあるがゼロから線をつくる「ぜろせん」とか、色々考えたが、ひとまず落ち着いたのが「のうの縁人」。

"へのへのもへじ”
みたいなマークが書けそうだったからだ。書ける。ネーミングは遊びだ。

45歳が表現する渾身のマーク(初稿)

しかし、時が経つとどんどん冷えてくる。いわゆる飽きである。その時の気分に左右されない何か、自分では変えようがない何か、を原料にする必要がある。で「やまとた」だ。名前はアイデンティティの塊だ。読み方だけのちがい、濁音を消す清々しさ、山と田という自分のフィールドにも合致、四文字を探していた自分もいる。死ぬまで使える名前ができたよ、父さん、母さん。

とりあえず第一稿

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