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愛してみる

父さん、母さん、育ててくれてありがとう。と、2024年ほど感じた年はなくなりそうだ。父は84歳、母は81歳。これまで色んな病におかされながら、幾度も乗り越えて今に至る。今も足腰や内臓に爆弾を抱えていて、決して健康とは言い切れないが、普通に話したり、ご飯を食べたりできるのは本当に幸せなことだ。

今、僕が住む家と両親が住む家は666km離れている。一見オーメンのようだが、逆にゾロ目で心地良さが勝つ。最近、徳島の知り合いが666をポジティブに捉える投稿をしていたが、同じ気持ち。何より覚えやすい。

昔の写真はなく、今の写真。
屋根はこんな青かったっけな?

昔のことを思い出す。

小学生の頃、よく母が働く病院に遊びに行っていた。職場の皆さんからも可愛がられていた。夜中にお腹が痛くなっても診てもらえた。職権だった。
ある時、母が授業参観に来てくれたのに、僕は何かにイラついて「来るな!」と叫んだことがある。その夜、母に泣かれた。
またある時は、母の財布からお金を取ったこともある。もちろんバレて怒られた。その時も母は怒りながら泣いていた。

恥ずかしい限りだ。

父は、僕が小学校の頃はスポーツマンのイメージだった。親子ドッチボール大会で躍動してたのを思い出す。クラスの子から「お前の父ちゃんすごいな」と褒められたのが誇らしかった感覚が残っている(美化されてるかも)。
歳をとってからは、趣味は囲碁、観るテレビはNHKのみ、の完全インドア派になっている。今や膝を悪くして歩くのもままならない。

胸が締め付けられる。

2022年夏、初めて福山に連れていった(奥さんの実家)。贅沢させようと、食事に連れ回して疲れさせたようだった。想像以上に足が悪い。

鞆の浦を望む父と息子

2023年の春、初めて今の自宅に両親を呼んだ。有馬と三田を中心に、なるべく歩かせないようにと。なんとか満足してくれたような。しかし、2人ともこんなちっちゃくなってたんだな。

ちょうど藤の花の時期だった

そして、2024年2月3日、叔父(母の弟)が亡くなった。666km離れた場所で僕の父さん、母さんの面倒を見てくれていた方だった。いよいよ難しい時代に入ってしまったな。どうしたもんかな。

1日でも長生きしてね。

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