フルーツタルト

びじゃ、びば、ばわ

前かごに幼子入れた自転車を風がおしだす未知の時間へ
/春野りりん

息子 ξ(仮名)が私のもとに生まれたとき、はるか彼方から 客人(まろうど)がやって来たように感じました。 ξ は何もできない未熟な存在ではなく、こちらに来たばかりで、まだこちらの文化や事情を知らないだけのひとだと感じたのです。
そして、「ようこそこの世界へ!いろいろなことがあっても、ここは素晴らしいところなのよ」と歓待するように接したいと思いました。

新しい言葉を伝えるときも、上から教え込むような言い方は避けるようにしました。「この名前を覚えた?なんだった?」と、いちいち試されるのは、私だったらいやだろうし、「りんごって言ってみなさい」と上から教え込むのも、なんだか違うように感じられたのです。

初めてすりおろした林檎をあげて、 ξ が「おいしい!」という顔をしたとき、こんなふうに語り掛けました。
「これは りんご っていうのよ。ね、 あまくて おいしいでしょう。
めのまえに りんごがないときに また これをたべたいなっておもったら
り ・ ん ・ ごっていったら つたわるのよ。」
じっと話を聴いていた ξ は「合点!」という表情を見せた気がしました。

その後、林檎以上に枇杷が好きになった ξ は、物に名前がある意味を理解したようで、「びじゃ!」「びば!」「ばわ!」を連呼するようになりました。
その言葉に応えたくて、ξ をETのように自転車の前椅子に乗せ、引っ越してきたばかりの街を「枇杷ありませんか~?」とさまよいました。

縦に横に通りを駆け抜け、商店街の端に果物屋さんをみつけましたが、もう枇杷は店頭に並んでいません。
肩を落としていると、お店のひとが出てきました。
 ξ がどれほど枇杷好きか、枇杷の食べごろが短くて ξ がどれほど悲しんでいるかを果物屋さんに語っている間、自転車の前籠のような椅子のなかで 、ξ は「びじゃ!びば!ばわ!」と連呼していました。

「あら~。もう売り物にするのは…と思って、たったいま最後の枇杷をご近所にさしあげてきたところなのよ。」
そう言うと、果物屋さんは引き止める間もなくご近所の玄関へと駆けていきました。

なかなか戻ってこない果物屋さん。
申し訳なかったね、と ξ に話しながら待っていると、なんと両手いっぱいの枇杷とともに急ぎ足で帰ってきました。そして、 ξ に「そんなに好きなのね。たくさん食べてね」と話しかけてくれました。

私にだけでなく、ちいさな ξ にも、かがみこむように 優しく。

「なんてあたたかいところに越してきたのだろうね。いろいろなことがあっても、この世界は素晴らしいところなのよ」と ξ に伝えていいのだと、胸がいっぱいになりました。

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