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反 歌  ータタール人の砂漠を読みはじめてー #詩のようなもの

『そう、もう手遅れです。私たちはこんなふうになってしまって、もう決してもとにもどることができないのです、とでも言うように』
 
「タタール人の砂漠」より
  
”手遅れ” なものか!
シェークスピア劇中の亡霊の たわごとだ!
 
やがて やがて
北の砂漠 みどりもない 霧におおわれた おぼろげな彼方から
国ざかいの向こうから 未踏の地から
刀槍を魚群のウロコのように輝かし
馬や駱駝らくだを 五色ごしきに飾り立て 旗指物を林立させた
タタール人の戦士いくさびとたちが
喇叭らっぱも高らかに 疾駆してくる

……今こそいさおとき だと?

おまえは 
待ちくたびれたのか
待つだけで 人生が終わったのか
それが 人生の 皮肉な本質だと
 
そんなものを
った者など だれ一人みたことはない
卑猥な神学者と 破廉恥な哲学者の えそらごと
語れる者は 黄泉みよを行き来した者 と
深海にひそむ 不眠症のホオジロザメだけ
 
湿った城壁に貼りつく ヤモリ
貯水槽からたれる しずくの音
深夜のブリキ細工の点呼の声の繰りかえし
……ただそれだけ
何も変化のない 螺子ねじをまわし忘れた 日めくり帳
ここは 流刑地の監獄だと言う
 
いや ちがう
おまえの肉体が おまえの”自由”が 監獄なのだ
≪Condamné à être libre!≫
 
不服だというのか ジョヴァンニよ
町でつくった 上等で華やかなマントを 着る舞台がないためか
町にのこした友人 フランチェスコと ヴェスコービを うらやんでいるのか
老母をしのんでのことか
生涯を無為にすごした ことか
少佐どのに だまされた ことを根に持っているのか
そんなものは ことだてするまでもないんだ 中尉よ
自己憐憫を聴いても あのホオジロザメだって かた目もあけはしない
 
”もう決してもとにもどることができない” だと?
あたりまえのこと

ほらほら 遠くでいななく驢馬だって そんなことは知り尽くしている 
人が創りだした神が 無情な時間も創ったのだ とやつが嗤っている
そして 神は憐憫など 持ちあわせていない ちがうか?
 
あさってから 吹きはじめる シロッコにだって
薔薇の頬をした乙女の涙と 貴婦人のため息が 塗り込められている
ジョヴァンニよ おまえは
緋色のベルベットと おかいこぐるみ で果てたアンナなのか
 
おまえの生涯は あのホオジロザメがみた 夢なのだ
もう余命がないというなら
さあ! 東方へ旅立つのだ まぼろしの王国をもとめて!

  あたかも *バウドリーノ最期の如く
    了

 

名訳です それに面白い小説

*バウドリーノ

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