ラティーノの街
ニューヨークはユダヤ人ならユダヤ人、中国人なら中国人といったように同じ民族が集まって暮らしている地域がある。イタリア人、ドイツ人、ギリシャ人なども然り。(長いことニューヨークを訪れていないので2020年現在のことは正確には分からない)
私は1997年当時、ニューヨークの中心地マンハッタン島からイースト川を挟んで向こう岸、クインーズに住んでいた。最寄駅は地下鉄のMないしR路線のElmhurst Av。
...だったと思う。
というのも、もうすぐアメリカ時代のフィルム写真のデータ化作業が終了するのだが、前回の投稿同様、最寄駅周辺や暮していたマンションの外観などの写真がない。撮っていないのだ。
ただ、暮らしていた地域の雰囲気はよく覚えている。そこはラティーノが集まっているところだった。ラティーノ、主にスペイン語を母国語とするヒスパニック系アメリカ人のことである。メキシコ人よりカリブ海に浮かぶ島々プエルトリコやドミニカ、ジャマイカ、ハイチなどのカリブ諸国からの移民が多かった。
正直、環境はあまりよくなかった。カメラを首からぶら下げて、気軽に駅や自宅周辺をご近所散歩とはいかなかった。
マンハッタンでは端っこの方の危ない地域や、深夜などの人気の少ない時間帯を除けば、カメラ片手に歩き回ることはできる。
でも、自宅周辺だと状況は変わってくる。高価なカメラを持ち歩いてうろうろしていると、その時は襲われなかったとしても、跡をつけられて、家が知られれば、待ち伏せなどをして、いずれ狙われるかもしれない。まして私は日本人。自宅周辺に東アジア人はほとんどいなかったので、余計に目立つ。今はニューヨークも随分治安が良くなったというが、やり手のルドルフ・ジュリアーニ市長が就任する以前の、20数年前はまだまだ危なかった。(ただし、犯罪は少々多くても自由を享受しようとする雰囲気もあって、街は魅力的だったという側面もあった)そんな訳で、カメラを持ち歩いての写真散歩など到底できず、ご近所の写真はないのだ。
と思ったら、一枚だけ出てきて喜んだ。
奇跡的に撮ってあったんだな一枚だけ、としみじみ。
暮していた集合住宅の通りを挟んで真向かいにあったgrocery store。食料雑貨店。コンビニみたいなもの。
ようく見ると、英語でCONVENIENCE STOREときちんと書いてあるね(笑)
店内はいつもラティーノのヒップホップ、レゲトンやソカが大、大、大音量で爆発的かつひっきりなしに流れていた。ワルそうな奴らがたむろしていて、とてもカメラ片手に入っていけるような雰囲気ではなかった。
時折、水やちょっとした食料を買いに行ったけど、まったく愛想のない店員が表情ひとつ変えず言葉なくお釣りを返してくるのをただ受け取る、そんなやり取りを繰り返しただけの思い出。
あの頃は店に入る前からラティーノの音楽が通りに溢れていて、生理的に嫌いだったけど、この記事を書くにあたり、ユーチューブで聞いてみたら妙に懐かしかったよ。そうそうこれこれみたいな感じで。
状況が変われば思考も、嗜好も変わる。そうやって行きつ戻りつして生きていくのだ。
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