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【壮絶】アウシュヴィッツで”人体実験の神メンゲレ”から生き残り、ホロコーストから生還した男の人生:映画『メンゲレと私』(ダニエル・ハノッホの物語)

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映画『メンゲレと私』では、アウシュビッツで”人体実験の神”と恐れられたメンゲレと関わりながらホロコーストを生き延びた男の壮絶な人生が語られる

作品はとても興味深かった。しかしまず書いておきたいのは、「タイトルが良くない」ということだ。タイトルに含まれる「メンゲレ」とは、アウシュビッツ強制収容所で”神”と呼ばれ、残酷な人体実験ばかり行っていた「狂気の医師」の名前である。しかし本作には、ほとんど「メンゲレの話」は出てこない。本作は基本的に、ホロコーストの生還者であるダニエル・ハノッホがカメラの前で語るパートがメインであり、もちろんその大半は自身の経験である。本作の英題は『A Boy’s Life』なのだが、まさにこのタイトルこそがピッタリと言える作品だ。

もちろん、『メンゲレと私』というタイトルになった理由は理解できる。本作は、『ゲッベルスと私』『ユダヤ人の私』に続く、「ホロコーストに何らかの形で関わった人物のインタビュー映画」の第3弾なのだ。そのため、『~私』という形式のタイトルに統一したいという思惑があったのだろう。そして本作の場合、それを実現するには「メンゲレ」の名前を出すしかない。そのためこのようなタイトルになっているのだろうが、あまりにも「メンゲレ」に関する言及が少ないので、「タイトルが詐欺だ」と感じる人がいてもおかしくないように思う。

いずれにせよ、これから観ようと思う方はこの点を理解しておくのがいいだろう。

最も印象的だったエピソード

ダニエル・ハノッホが語るホロコーストや収容所の現実は、そのどれもが凄まじいものだと感じさせられたが、その中でも最も印象に残ったエピソードから紹介したいと思う。

ダニエル・ハノッホは8歳でゲットー(ユダヤ人を強制的に移住させた区域)に入れられ、その後アウシュビッツ強制収容所に送られたという。「重労働による絶滅」を掲げた唯一の収容所マウトハウゼンなども経験しながら、彼は44ヶ月間生き延び、どうにか生還を果たした。米軍によって解放された時、彼は13歳だったそうだ。

解放されたユダヤ人には、米軍の配給や赤十字の小包などが渡された。しかしダニエル・ハノッホはなんと、その受け取りを断ったという。正直なところ、彼の話を聞いていても、その理由ははっきりとは分からなかった。ただ、後で触れる話ではあるが、彼は収容所にいる際、「生き延びるために、とにかく徹底的に考えた」のだそうだ。そのため彼には、「自身の才覚で手に入れたものしか信用しない」みたいな感覚が染み付いていたのかもしれない。真意は不明だが、仮にそうだとしても納得出来るような人物に見えたことは確かだ。

もちろん、生還を果たした彼は、ひたすら空腹に襲われていた。証言の中で確か、「ドイツ兵の死体のポケットに入っていたサンドイッチが、解放されてから最初に口に入れた食べ物だった」みたいなことを言っていたように思う。その後も彼はもちろん、生き延びるために食料を探し求めた。しかし実は、それ以上に希求していたものがあったという。

それが「紙」と「鉛筆」である。

収容所では、紙も鉛筆も所有が禁じられていた。そのため彼は解放された後、ある会社(彼との関係は理解できなかった)に赴き、そこにあった紙と鉛筆を使って、好きなだけ文字やら絵やらを描いたそうだ。その時のことについて彼は、「一種の解放感」「自由の象徴だった」などと語り、さらに次のようにさえ言っていた。

(文字や絵を描ける)そんな人間に戻れて、私は満足だった。

私にとって、これが最も印象に残った話である。彼も当然ずっと空腹感に悩まされていたし、食べ物も常に欲していたが、ある意味でそれは「身体を生かすためのもの」でしかなかった。そして「頭を生かすためのもの」として彼は紙と鉛筆を欲したのだし、それによって「人間らしさ」を取り戻すことこそが何よりも重要だと感じていたというわけだ。

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