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【歴史】『大地の子』を凌駕する中国残留孤児の現実。中国から奇跡的に”帰国”した父を城戸久枝が描く:『あの戦争から遠く離れて』

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言葉だけは知っていた「中国残留孤児」の現実を本書で初めて知った。著者のあまりの特殊性にも驚かされる

私は、「中国残留孤児」という言葉自体は知っていたが、それがどんなものであり、どのように大変な状況なのかについて考えたことがなかった。きっと多くの日本人が同じような感じではないかと思う。

さらに本書の著者は、「日本生まれの中国残留孤児二世」という”特殊な出生”なのだという。正直、この言葉の意味も、その特殊さも、本書を読み始めた時点ではまったく理解していなかった。本書をしばらく読み進めてもまだ、上手く捉えられずにいたのだ。

しかし本書の後半、中国残留孤児やその二世と著者が関わっていく辺りから、ようやくその意味が理解できるようになってきた。そして、そんな非常に特殊な出生を持つ著者だからこそ、「中国残留孤児」の問題を深く、そして新しい視点から捉えることが出来たのだ。

そんな著者の物語は、父親の激動の人生を追うところから始まる。

著者の父親は、「中国残留孤児」という言葉が世に知られる以前に自力で日本へと帰国を果たした

本書の凄まじさは、著者の父親の来歴とその壮絶な帰国劇にあると言っていい。「孫玉福」という中国名で生活していた城戸幹が中国から帰国したのは1970年のこと。中国との国交が正常化される2年も前のことであり、さらに「中国残留孤児」という言葉がメディアで盛んに取り上げられるようになる10年も前のことだった。もっと言えば、1970年というのは、中国で文化大革命の嵐が吹き荒れている最中でもあったのだ。

そんな時代に、著者・城戸久枝の父親は、自力での帰国を成し遂げたのである。まさにそれは「奇跡」としか言いようがないものだった。

それではまず、孫玉福こと城戸幹が、日本への帰国を果たすまでどんな生活を送っていたのかに触れていこうと思う。

城戸幹は、満州国軍の軍人の子として生まれ、終戦時に様々な混乱と不運が重なったことで、そのまま中国に取り残されてしまう。城戸幹は多くの人の助けを得て、牡丹江のほとりにある頭道河子村へと連れてこられた。5歳の頃のことである。

育ての親はなかなか見つからなかった。「日本人の子を育てていると知られたら、ロシア人に何をされるか分からない」という恐怖があったからだ。しかしやがて、自警団長の義理の娘である付淑琴が名乗りを上げる。彼女は2度の流産を経験したことで子どもを産めない身体になっており、引き取りを強く希望したのだ。

そんな風にして城戸幹は、日本人であることを隠すために「孫玉福」という名前を与えられ、中国人として育てられることとなったのである。

孫玉福は非常に優秀だった。当然のことながら中国語は苦手だったが、一念発起して克服する。他の教科の成績は元々良かったこともあり、小学校時代に飛び級を果たしたほどだ。その後、彼自身の努力と育ての母の必死の金策のお陰で高校まで通うことができ、そのままであれば名門・北京大学も狙えるほどの成績を維持していた。

しかしここで悲劇が起こる。孫玉福は、ちょっとしたすれ違いから、自らの戸籍の記載を「日本民族」と変更してしまったのだ。当時中国では文化大革命の嵐が吹き荒れていた。そんな時代にあって「日本民族」であることを明かしてしまった彼には、中国国内での真っ当な道は閉ざされてしまったと言っていい。

時を同じくして、孫玉福の中にアイデンティティに対する葛藤が生まれてくる。「中国人として育てられたこと」と「日本人であること」のギャップを無視できなくなっていったのだ。そして彼は、「生みの親をなんとしてでも探し出したい」という思いに駆られ、そこから猛烈に行動を起こすことになる……。

城戸久枝の父親の「奇跡の帰国」は、こんな風にして始まっていくのである。

帰国に至るまでの奮闘と、帰国してからの苦労

孫玉福(城戸幹)の物語の凄まじさは、「彼が元々『帰国』を意識していたわけではない」という点にあると思う。日本で「中国残留孤児」という言葉が使われるようになってから、「そういう境遇の人たちを日本へと帰国させよう」という機運が生まれることになるわけだが、城戸幹が帰国したのはそうなる10年も前のことだった。「中国残留孤児」という言葉も恐らく存在せず、彼らが日本へと帰国するルートも当然存在していなかったのだから、そもそも「帰国する」という発想を持ちようがなかったというのが正しいだろう。

彼は純粋に、「生みの親について知りたい」と考えて行動を起こす。自分がどこの誰で、どんな経緯で育ての親の元へとやってきたのかという来歴を明らかにしようとしたのだ。しかし、どれだけ調べても何も分からなかった。彼は、話を聞ける限りすべての関係者に当たったと言っていいぐらいの調査を行うのだが、それでも自分の出生などについてほとんど情報を得ることができない。

その一方で孫玉福は、日本赤十字に宛てて「自分の両親を探してほしい」という手紙を送り続けた。その数なんと数百通に及ぶという。どれだけ手紙を出しても音沙汰がなかったが、それでも諦めずに送り続けたことでようやく反応が返ってくる。しかしそこに書かれていたのは、「もっと情報がなければ両親を探せない」という主旨の文章だった。自身でこれでもかと調べた上で何も分からなかったのに、これ以上どうすればいいのかと彼は頭を抱えてしまう。

しかしその後、奇跡的な展開の末、ようやく自身の「城戸幹」としての身元にたどり着くことが出来た。その素晴らしい経緯については、是非本書を読んでほしい。

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