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【感想】映画『君が世界のはじまり』は、「伝わらない」「分かったフリをしたくない」の感情が濃密

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「キラキラした学園モノ」っぽく見える映画『君が世界のはじまり』は、「拭い難い憂鬱」がそこはかとなく漂う、とても好きなタイプの映画だった

これから観ようと思う映画について何も調べないようにしている私は、映画『君が世界のはじまり』を「キラキラした青春学園モノ」だと思っていました。普段そういう作品を好んでは観ませんが、この映画はなんとなく観ようと考えたのです。

そしたら大当たりでした。私のイメージとは全然違う物語で、「この世界観いいなぁ」とずっと感じていた作品です。

映画の冒頭こそ、ワチャワチャと楽しげなテンションで展開されていきますが、次第に作品全体がぼやっとした何かに覆われるような、視界がぼやけたまま元に戻らないような、そんな「暗さ」が立ち込めてきます。「どうにもならない現実」を前に、「それでも生きていくしかないか」と考えている若者たちの諦念が、じわりじわりと映画全体を塗り潰していくような不穏さがあって、その雰囲気が私にはとても素敵に感じられました。

「青春学園モノ」っぽい「キラキラ」は随所で描かれるのですが、それらは全体として「何かの残滓」であるような印象もまとっています。「キラキラ」を目指し振り絞るように生み出されはしたものの、どうにも「キラキラ」には成りきれていないような、そんな「寂しさ」を内包している感じがするのです。行き場のない者たちが放つ「キラキラの残滓」みたいなものが、ある意味では眩しく、ある意味では涙を誘う感じがあって、その明暗のバランスがとても見事な作品だと感じました。

「子どもを育ててはいけない人」はいるはずだと思っている

「自分の力ではどうにも変えられないこと」は世の中には多々あるでしょうが、「生まれ持っての何か」ほどそれが強く現れるものもないだろうと思います。「人種」「生まれた年」「容姿」「遺伝性の疾患」など、「そういう風に生まれてしまった以上、もはや動かしようがないもの」は色々とあるはずです。

そして何よりも私は、「親を選べないこと」が一番辛いのではないかと思っています。

私は、「親ガチャ」という意味では可もなく不可もなくという感じで、酷すぎるわけでもメチャクチャ良いわけでもありません。普通よりちょっとだけ悪い、ぐらいじゃないかと思っています。私のことはともかく、「親ガチャ」で盛大に外れを引いた人は、人生相当なハードモードにさらされてしまうでしょう。

「親の存在」が子どもにマイナスを与える状況は多々あるでしょうが、DVやネグレクトなどは何よりも最悪だと思っています。そういう事件の報道に触れる度に私は、「『子どもを産み育ててはいけない人』」は世の中に存在するはずだ」と考えてしまうのです。

私は昔から、「自分は絶対に子育てに向いていない」と思ってきました。これまで子どもを見て、「可愛い」とか「関わりたい」と思ったことがほぼないからです。そもそも私は、大人の場合でも興味を持てる対象が非常に少なく、大体の人間に関心を向けられません。

「子育てに向いてない」という話を、時々友人や知り合いにしてみるのですが、かつてこんなやりとりになったことがあります。会話の相手から、「子育てが向いてるかどうかは、やってみないと分からないんだから、そういう機会があったら試してみたらいいじゃん」みたいに言われたのです。

私はこの返答を聞いて、ある種の「絶望」を感じました。何故なら「そんな風に考える人間がいるからこそ、辛い境遇に置かれる子どもがいなくならないんじゃないか」と思ってしまったからです。

誤解のないように書いておくと、「試してみたらいいじゃん」と返した人は、ポジティブな意見のつもりで言っています。「自分の子どもだったら『可愛い』って感じるはずだし、そういう機会を経験しもしないで『向いてない』なんて言うのはもったいないんじゃない」という、アドバイスのつもりで言ってくれているというわけです。決して悪気はありません。そしてとても残念なことに、悪気がないからこそ問題だと言っていいでしょう。

私は不思議で仕方ありません。私たちは、世の中にDVやネグレクトが蔓延っていて、児童相談所への通報も多く、児童養護施設などでの生活を余儀なくされる子どもがいることを知っているはずです。にも拘わらず、どうして「自分は大丈夫側にいられる」と信じていられるのでしょうか。もちろん、人間も生物なので「子孫を残すこと」が大事でしょうし、「子どもを生み育てること」になるべくブレーキが掛からないように遺伝的に進化しているなんてこともあるのかもしれません。しかしそうだとしても、もう少し「自分は子どもを育てても大丈夫だろうか」という気持ちを持ってもいいように思うのです。

もちろん、子どもを産み育てている人たちの中にも、「あらかじめ真剣に悩んで考えて、その上で子どもを持つと決断した」みたいな人はいると思います。しかし一方で、「『自分に子育てが出来るのか』なんて考えもせずに子どもを持つことになった」という人もたくさんいるでしょう。私にはちょっとそのことが信じられません。「自分はもしかしたら、子育てに不向きな人間かもしれない」という思考が、少しでも頭を過ぎったりしないものなのでしょうか?

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