【書評】奇跡の”国家”「ソマリランド」に高野秀行が潜入。崩壊国家・ソマリア内で唯一平和を保つ衝撃の”民主主義”:『謎の独立国家ソマリランド』
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高野秀行の集大成とも言える作品で、ここまで”面白くて深い”ノンフィクションは他に無いと思える傑作
とにかく、凄まじく面白い作品だ。今までも様々なノンフィクションを読んできたが、これほど面白くて読みやすく、かつ内容的に重厚で価値があると感じさせる作品はなかなかないだろう。硬派なノンフィクションはたくさんあるし、その中に傑作も多々あるが、本書は「エンタメ」寄りのテイストでありながら社会派でもある。テーマのセレクト、そして高野秀行のアプローチの仕方が見事だったと言っていい。
高野秀行は「辺境作家」を自称しており、これまでにも「UMAを探す」「シルクロードを実際に歩いて踏破する」など、テレビ番組がお金を掛けてやりそうな企画を1人で行ってきた。常に「未知の何か」を探し求め、その存在を予感させる場所へと全力で突っ込んでいくスタイルは、普通には真似できない高野秀行の独擅場という感じがする。
そんな高野秀行が「ソマリランド」に潜入するというのだ。
「ソマリランド」についてはすぐ後で詳しく触れるが、とりあえず今のところは「国連から承認されているわけではない国家」ぐらいのイメージでいいだろう。「台湾」のような立ち位置だろうか。
そんな「ソマリランド」については、高野秀行が本書を記すまで、世界のどこにもまとまった情報は存在しなかったという。つまり本書は、「恐らく世界で初めて、『ソマリランド』の内情を記した作品」という点でも価値がある作品と言えるのだ。
分厚いし、難しそうな本に見えるだろうが、安心してほしい。「ノンフィクション」を読み慣れない人でもチャレンジできる作品だ。好みの問題はどうしても残るので、合う合わないはあるだろうが、見た目の印象で避けず是非手にとってみてほしいと思う。
高野秀行が渡航以前に「ソマリランド」について知っていたこと
先述した通り、「ソマリランド」についてはほとんど情報が知られていなかった。しかし、世界中に通信社の記者が配置され、世界中の人がスマホを持っている時代に、そんなことがあり得るだろうか?
その疑問を解消するヒントとなる文章がある。
「ソマリランド」は、ソマリア共和国の一部として存在している。イタリアの中にあるバチカン市国、みたいなイメージでとりあえずはいいだろう。
そしてソマリア共和国自体は、内戦の混乱状態にある。まさに日本の「戦国時代」のような状況だそうだ。様々な勢力が天下統一を目指して武力で闘っている、そんな国なのである。
そして、そんな「戦国時代」状態のソマリア共和国内部に「ソマリランド」があるせいで、外からは誰も近づけず、情報がほとんど分からない状態になっているわけだ。
では、「ソマリランド」はなぜ注目されているのだろうか。その理由は、「ソマリランドだけは何故か平和」という点にある。
先程「ソマリランド」を「台湾」に喩えたが、この文章を読むと少しイメージを変える必要があるだろう。例えば、「今の日本が戦国時代の状態にあり、その中でなぜか長野県だけが平和を維持していて、そんな長野県が『我々は日本とは独立した国家である』と主張している」というような状態だと考えればいいだろうか。
なかなかに不思議な状態だろう。少なくとも、世界中様々な国を渡り歩いた高野秀行でさえ「不思議」と感じるほどの状況であることは間違いない。
さらに、「ソマリランド」に関して僅かながらに存在する情報を調べていた高野秀行は、次のような文章を見つけて驚いたという。
国際社会では「国家」として承認されていない、独裁体制が主流のアフリカの地域が、独自に「民主主義」へと移行したというのである。これもまた、高野秀行が「思わず笑ってしまった」と表現するぐらい、まともな状況ではないようだ。
さて、そんな風に「ソマリランド」について調べていた高野秀行は、こんな当然の疑問に行き当たる。
知られていない事情については先程、「ソマリア共和国が内戦状態にあり、危険だから誰も近づけない」とその理由の一端に触れた。しかし、高野秀行のような「辺境・危険地帯に足を運びまくった人物」からすれば、「自分なら絶対に行くし、誰も行ってないなんてありえない」と感じるのだろうし、だからこそ情報がほとんど存在しない状況に首を傾げることになる。その後、実際に現地入りした高野秀行は、「ソマリランド」に関する情報が少ない理由を肌で実感するわけだが、その話は少し後で触れることにしよう。
さてこれらが、「高野秀行が現地入りする前に理解していた事柄」である。ほぼなんの情報も無いと言っていいだろう。そしてそんな状態で単身「ソマリランド」へと乗り込んでいる。彼のチウよみは、超短期集中で現地の言葉を習得してから向かうことだ。このお陰で、現地住民と一通りの会話ができる状態にはなる。早稲田大学探検部出身という地頭の良さが為せる技だろう。
本書は、そんな「謎に包まれたソマリランド」に関する、恐らく世界初の「まとまった情報」であり、それを日本語で読めることはとても素晴らしいことだと感じる。
さて、ここから本格的に本書の内容に触れていくのだが、本書の内容についてざっとでも触れるのは非常に困難だ。本書の記述のほぼすべてが面白いので紹介したいところだが、なかなかそれは難しい。「ソマリランドの歴史」「独立の正当性の主張」「二度の内戦への対処」「産業の基盤」などなど、「誰も知らないソマリランド」の話題はとにかく面白いので、是非本書を読んでほしい。
この記事では、「氏族」と「民主主義」についてだけ触れることにしよう。「氏族」とは、「ソマリランド」を理解する上で非常に重要であり、かつ、「ソマリランド」の理解を困難にしている、非常に難解な概念だ。先程「ソマリランドについて知られていない理由」を後述すると書いたが、まさにこの「氏族」がそれに当たる。
そして、そんな「氏族」という背景を持つ「ソマリランド」がいかにして「民主主義」を達成したのかという話は、すべてが面白い本書の中でも群を抜いて興味深いのである。
「ソマリランド」の理解を困難にする「氏族」とは一体何なのか?
「氏族」というのは、「ソマリランド」だけではなくソマリ人文化全体に関わるものだ。しかし「氏族」という単語は、なかなか耳にするものではない。恐らく、ほとんどの国で馴染みのない概念だと考えていいだろう。そしてだからこそ、「ソマリランド」を理解するのは難しい。
なぜなら、ソマリ人文化のありとあらゆる事柄がこの「氏族」の側面から説明されるからだ。この「氏族」が理解できなければ、「内戦を停止できた理由」や「特殊な民主主義が成り立つ背景」などを理解することはできない。
これ以降は、ブログ「ルシルナ」でご覧いただけます
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