【価値】レコードなどの「フィジカルメディア」が復権する今、映画『アザー・ミュージック』は必見だ
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伝説のレコード店の閉店までを映し出すドキュメンタリー映画『アザー・ミュージック』から、「モノ」と「デジタル」の関係を考える
私は長い間書店で働いてきた。アルバイトという立場でありながら文庫と新書の売り場を任されていたこともあり、「モノを売る」こととはかなり真剣に向き合ってきたつもりだ。そして、伝説のレコード店「アザー・ミュージック」が閉店するまでを映し出す本作を観て改めて、「モノを売ること」や「モノがデジタルに駆逐されていくこと」などについて色々と考えさせられた。この記事では、そのような話に触れていこうと思う。
まず大前提として、私は決して「音楽・映画のサブスク」や「電子書籍」などを否定してはいない。私自身は、それら「デジタル的なもの」にあまり馴染もうという気はないのだが、世の中がそちらの方向に動いていくのは当然だと考えている。プラットフォーム側が何か不正のような形で勢力を拡大させているとか言うのであれば話は別だが、世の中の需要に合わせて規模が拡大しているのであれば健全でしかないだろう。レコードや紙の本などは「フィジカルメディア」などとも呼ばれるが、そのようなフィジカルメディアの需要はが減っているのだろうし、そうであればそれ自体は仕方ないことだと思う。
「仕方ない」と表現しているように、私はやはり「フィジカルメディア」の方に良さを感じている。なので、「デジタル的なもの」は、好き嫌いで言うなら「好きではない」なのだが、良い悪いで言うなら「悪くはない」という感じだろう。これが私の基本的なスタンスだ。
さて、そのような「外的な環境の変化」は需要と供給のバランスで決まるので、「なるようにしかならない」と考えている。それよりも私が気になっているのは「意識の変化」の方だ。「フィジカルメディア」から「デジタル的なもの」に移行することによって、人々の意識も大きく変わっていると言えるだろう。そして私には、今顕在化し始めているそのような「意識の変化」が、あまり良いものには思えないのである。
というわけで、その辺りの話を深めていきたいと思う。
「映画館でしか映画を観ない」と決めている理由
私は基本的に、「映画館でしか映画を観ない」と決めている。この点に関しては、例外だったケースを紹介する方が早いだろう。まずは、以前働いていた書店の同僚から借りたDVD2本。「良い映画だから観てほしい」と勧められ、パソコンのプレーヤーで観た。そしてさらに、コロナ禍で映画館が閉まっていた時期に、アップリンクという映画館が運営していた「オンラインの映画館」みたいなサービスと契約して映画を観たこと。これが、「映画館以外で映画を観た例外」だ。あと、自分の中で「映画を観た」という経験にカウントしていないのだが、金曜ロードショーなどテレビで映画が放送される際に観ることもある(これは「鑑賞後に感想を書くかどうか」の違いであり、テレビで観た場合は感想を書かないので、「映画を観た」とはカウントしていない)。
そして私の記憶では、これ以外に「映画館以外で観た映画」は無いと思う。この記事をUPしている時点で991本の映画を観ているのだが、そのほとんどを映画館で観たというわけだ。また今のところ、AmazonプライムやNetflixなどを契約する予定はない。
さて、このような話を聞くと、「『映画館で映画を観る』という体験に価値を置いているのだろう」と想像するのではないかと思う。しかし、別にそんなことはまったくない。そういう観点で言えば、私は別に「パソコンやテレビの画面で映画を観る」のでも全然いいのだ(スマホでは絶対に観たくはないが)。では、何故映画館で観ることに決めているのか。それは、映画鑑賞に限る話ではないのだが、「『制約』にこそ価値がある」と考えているからだ。
「映画館で映画を観る」という行為は、様々な「制約」をクリアして成り立つものである。公開期間が限定されているからその期間内に観なければならないし、サブスクと比べれば鑑賞料金も高い(状況にもよるが)。映画館に足を運ばなければならないし、そのための電車代も必要だ。そして「過去の名作」は、4Kリマスター版などが劇場公開されない限りそもそも観る機会がない。
どう考えてもめんどくさいし、私自身もそう思っている。「制約」ばかりだ。そして、このような「制約」をクリア出来なかった作品は、結局観れないまま終わってしまう。普通に考えたら、「それの何がいいんだ?」と感じるかもしれない。
しかし、このような「制約」を甘受することで、私は「『自分で作品を選ぶ』という権利を手放さずに済んでいる」と考えている。
さて、私はサブスクで映画を観たことはほぼないが(例外は、先に紹介したアップリンクのサービス)、サブスクの場合どのようにして観る映画を決めるだろうか? サブスクには「登録されている映画しか観られない」以外の制約は一切存在しないのだから、古今東西様々な映画を選び放題だ。しかし、そんな無限とも思えるリストの中から、観る映画をどのように決めればいいのか。やはり基本的には、「ランキングで上位になっている」「レビューがもの凄く高い」などの「情報」を必要とするはずだ。「元からこの映画を観たいと思っていた」というパターンもあるだろうが、それだって結局「情報」だろう。つまりサブスクの場合、「何らかの『情報』がなければ映画を選べない」と言っていいように思う。
そして私は、そのような「自分で作品を選んでいる」とは感じられないやり方で観る映画を決めたくないのだ。
そんなわけで私は、「映画館でしか映画を観ない」という「制約」を自身に課すことで、一気に選択肢を絞っている。なにせ「映画館で映画を観る」場合は当たり前だが、「今公開している映画」しか観られないのだ。そして、それは大した数ではない。そのため私は、「その中から主体的に観たい映画を選ぶ」ことが可能だと考えているのである。これは「制約」による効果と言えるだろう。
「デジタル的なもの」が出てくる前は皆、このように物事を決めていたはずだ。それは、例えば「書店」を例に取っても理解できるだろう。Amazonなどのネット書店やKindleなどの電子書籍が出てくる前は、「書店で本を買う」しかなかった。そしてその場合、「自分が訪れた書店に置かれている本しか買えない」という「制約」の中で何かを選ぶことになる。この時私は、「主体的な選択をしている」ように思えるのだ。
しかし、ネット書店で本を買う場合はどうだろう。やはり、無限とも思える選択肢が存在する。その場合も当然、「アルゴリズムにオススメされた」「ランキング上位」など、何らかの「情報」に頼らざるを得なくなるし、それは私には「主体的な選択」には思えない。そのため私は、そういう選択を回避したくて、敢えて「制約」のある状況に留まるようにしているというわけだ。
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