【実話】「ホロコーストの映画」を観て改めて、「有事だから仕方ない」と言い訳しない人間でありたいと思う:『ホロコーストの罪人』
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有事であっても、平時と同じように真っ当な判断力を持ち続けたいと思わされる「ホロコーストの悲劇」
「ホロコースト」と聞くと、真っ先にドイツが思い浮かぶだろうし、「ホロコースト」が関係する国としてイメージするのもドイツ周辺の国が多いだろう。
しかしこの映画で扱われるのは、「ノルウェー」で起こったホロコーストの悲劇である。「北欧の国もホロコーストと無関係ではいられなかった」という事実さえ、正直まったく知らなかったこともあり、とても驚かされた。
映画の最後に、この映画で描かれる史実についてノルウェー政府が既に公式に謝罪しているという字幕が表示された。しかしその謝罪はなんと2012年のことだったそうだ。つい10年ほど前のことだ。もちろん、国内では恐らく「公然の秘密」のような扱いだったのだとは思う。しかし、非を認めて謝罪をしたのがたった10年前だということにも驚かされた。
まさに「知られざる史実」が描かれている作品なのだ。
ホロコーストを「過去の出来事」と捉えるのは間違っている
ホロコーストに直接的には関わりのない日本人にしてみれば、「ホロコースト」と言われても「教科書に載っている出来事」ぐらいの印象になってしまうかもしれない。第二次世界大戦当時のドイツが、あるいはその指導者のヒトラーが”イカれていた”だけであり、ホロコーストみたいなことはもう起こるはずがないなんて風に感じる人もいるだろう。
1975年には、カンボジアでポル・ポトが知識人を虐殺した。1994年には、100万人以上が殺されたとされるルワンダ大虐殺が起こっている。天安門事件もまだまだ記憶に新しいし、1995年にボスニアで起こった虐殺を描いた映画『アイダよ、何処へ?』が2021年に公開されている。
そして、ロシアがウクライナに侵攻した。市民を虐殺しているとも噂されている。
また、命こそ奪われないかもしれないが、主義主張の対立によって市民が苦しめられることも多い。ミャンマーでクーデターが起き、香港は中国から圧力を掛けられ、アフガニスタンではタリバンが再び実権を握った。
これらはどれも、「ホロコーストのようなもの」だと言っていいはずだし、そんな酷い出来事が、今日までそこかしこで起き続けている。
幸い今はまだ、日本が「ホロコーストのようなもの」に巻き込まれることはないように思う。しかし、北朝鮮を初めとする周辺各国との関係がどう変化していくか分からないし、いつ日本がウクライナのような状況に陥ってもおかしくはないとも感じている。
だからこそ、ホロコーストで一体何が起こっていたのか、私たちは正しく知らなければならない。
私は基本的に映画館でしか映画を観ないと決めているのだが、この『ホロコーストの罪人』を観た前後で複数の「ホロコーストを扱った映画」が公開されていた。そして観る度に、「そんな事実まったく知らなかった」というような話が出てくる。あまりの闇の深さに、恐ろしくなるほどだ。
有事であっても、平時と同じ判断基準を保ちたい
ホロコーストに限らず、人類の歴史に連なる様々な「悲劇」の当事者にもし自分がなったとしたら、果たして「真っ当な決断・行動」が出来るだろうか、と考えてしまう。
未来を生きる人間には、何だって言える。「自分だったらそんなことしない」「良くもまあそんな非人間的なことができるな」「普通に考えればそんな判断になるわけないだろ」と、「自分ならそんな行動絶対にしない」という前提に立って当事者たちを批判できてしまう。
しかし本当に「自分ならそんな行動絶対にしない」と断言できるだろうか?
私は、香港のデモやアメリカのBLM運動のようなニュースを見る度に感じることがある。鎮圧のために出動する警察官は、どんな気持ちでいるのだろう、と。組織の命令である以上、警察官は国家側の立ち位置につかざるを得ない。しかし中には、デモ側に共感してしまう人もいるだろう。それでも、彼らは「職務」として、デモを取り締まる「仕事」をしなければならないのだ。
ホロコーストに関わった多くの人も、きっと同じ感じだっただろう。実際に、「ミルグラム実験(アイヒマン実験)」と呼ばれる、「権威ある者から命じられれば、人はどれほど残虐なこともしてしまう」ことを示した実験もよく知られている。「アイヒマン」というのは、ユダヤ人を強制収容所へ移送する責任者だった人物で、ミルグラムという心理学者が、「アイヒマンは本当に極悪非道な人間だったのか?」という疑問を抱いたことからこの実験が行われた。
普段どれだけ優しくても、有事となれば人が変わる可能性は十分にある。そして、そのことを理解しているからこそ私は、「有事であっても、平時と同じ振る舞いが出来る人間でありたい」と切に願ってしまう。そういう状況に巻き込まれないことが一番だが、巻き込まれるかどうかは自分では選べない。だから、巻き込まれてしまったとしても、「平時の自分」のままでどうにか踏み留まりたいと思っているのだ。
映画の内容紹介
「悲劇」は、1942年11月26日に起こった。ノルウェーの国家秘密警察のロッドが、非番の者も含めた全員を招集し、「ノルウェー中のユダヤ人を集めて船に乗せろ」と指示を出したのだ。この船は当然、アウシュビッツへと向かう。ロッドは、上からの指令を受け取ってからたった48時間という短い時間でこのミッションを完遂させなければならなかった。
ノルウェーという国家が、警察を動かしてユダヤ人排除を行った、そんな悲劇の歴史である。
舞台は3年前まで遡り、映画で主として描かれるユダヤ人のブラウデ家の物語が始まっていく。
ボクシングのノルウェー代表として勝利を飾ったチャールズは、兄弟たちと酒場で盛り上がっている。チャールズは既にラグンヒルとの結婚を考えているのだが、彼女がユダヤ人ではないことが引っかかっていた。彼の母親が熱心なユダヤ教信者で、安息日のお祝いなどユダヤ教のしきたりをきちんと守っているからだ。しかしチャールズ含め子どもたちは、自分たちが「ユダヤ人」だという自覚がさほどない。両親は元々リトアニアで暮らしていたが、ユダヤ人への迫害が厳しくなったことでノルウェーへと逃れてきた。子どもたちはノルウェーでの生活が長く、「ユダヤ人」よりも「ノルウェー人」という意識の方が強かったのだ。
チャールズは家族の反応をそれとなく確認し、無事ラグンヒルとの結婚が決まった。幸せな生活が始まると思われたが、不穏なニュースが届く。ドイツ軍がオスロフィヨルドの要塞を突破したというのだ。ドイツ軍がノルウェーに降伏を要求し、情勢は一気に悪化していった。
しばらくして、ノルウェーに住むユダヤ人男性が一斉に逮捕されてしまう。ブラウデ家の面々ももちろん例外ではない。逮捕理由など一切知らされず、まったくなんのことか分からないまま連行されるが……。
欧米人は「ユダヤ人」と「ユダヤ人ではない者」を見た目で区別できるのか?
ホロコーストについて情報を得る度に、毎回不思議に感じることがある。それは、「ユダヤ人を見た目で区別できるのだろうか?」という点だ。欧米人の顔を見て出身国を判断することは日本人には難しいだろうが、欧米人にはきっとできるだろう。それは、私たちがアジア人の顔をなんとなく区別できるのとたぶん同じだ。そして、それと同じように、「ユダヤ人」と「ユダヤ人ではない者」は見た目で区別できるのか、という点がいつも疑問に感じられる。
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