【多様性】神童から引きこもりになり、なんとか脱出したお笑い芸人が望む、誰も責められない社会:『ヒキコモリ漂流記』(山田ルイ53世)
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ちゃんと生きてさえいればどんな人も許容される世の中であってほしい
本書は、とにかく面白いエッセイなのですが、ふと考えさせるような文章に溢れてもいます。そしてその中でも最も共感させられたものは、最後の最後に出てくるこの文章です。
私も本当にそう感じます。社会に貢献できたり、誰かを癒せたり、大勢の人を率いたりできる人は、本当に素晴らしいです。私もそうなれるならそういう人生だったら良かったと思います。ただ、世の中のほとんどの人はそうはなれません。なんでもない存在として社会の片隅にいるだけです。
そしてそういう人も等しく許容される世の中であってほしい、と私も著者と同じことを考えています。犯罪に手を染めたりするのはダメですが、働かなくても、引きこもっていても、何もやる気が起きなくても、”そういう存在”として許容されることこそが「多様性」なのではないかと、私は信じたいです。
引きこもり期間は無駄だった
本書は、お笑いコンビ「髭男爵」の山田ルイ53世が、子どもの頃の6年間の引きこもり期間を経て、なんとか社会へと戻るまでの葛藤が描かれている作品です。成人式を迎える頃、「成人になってしまったら、二度と差を埋められなくなる」と恐怖してなんとか奮起、どうにか引きこもりから自力で抜け出したのだと言います
かつて引きこもっていた、ということを明かしたことで著者は、引きこもり時代について取材で聞かれるようになりますが、その度に違和感を覚えていたといいます。それは、「その6年間があったからこそ、今の山田さんがいるんですよね?」という類の質問に対してのものです。
そういう時に著者は、場の空気が悪くなることを理解しつつも、
と答えるといいます。
私も、短期間ですが引きこもっていた時期があるので、「無駄だった」という感覚は分かるつもりです。もちろん、あのしんどい時期があったからこそ分かったこと、感じられるようになったこともあると思います。自分がそういう経験をしたからこそ、周りで辛い経験をしている人の気持ちが少し分かったり、そういう人から話を聞きやすくなったりもしているでしょう。
でも、必要な経験だったかというと、そんなことはないと思います。避けられるなら、避けて通りたかったです。
自分の過去の経験が無駄だったとはできれば思いたくないので、何かと理屈をつけて正当化したくなりますが、そういう自分の虚飾を取り払って考えてみた時、やはり引きこもっていた経験は無駄でしかなかったんじゃないかと感じます。
一方で私は、「無駄だから経験すべきではない」と考えることもしません。「無駄かもしれない」と理解した上でその無駄を経験するのなら、それは本人の自由だと思うからです。
だからこそ、「引きこもるという選択肢」が、社会の中で悪く受け取られないといい、とも感じます。形はどうあれ、一定期間社会との関係性を断つと、学業や社会人としての評価に大きく響くでしょう。普通は、「引きこもるなんてダメなやつだ」と判断され、マイナス評価が下されてしまうはずです。
でも、世の中の全員が同じ歩幅で歩いていけると考える方が無理がある、と私は思います。社会のスピードについていけない人もいるでしょうし、休み休みでないと前に進めない人もいるはずです。そういう場合はしばらくお休みをして、落ち着いたらまた元の場所からリスタートできるような社会なら、誰にとっても穏やかなんだけどなぁと思います。
もし社会がそういう変化を望むのであれば、「引きこもりを経験し、今は社会に出てきている人」の経験は役立つでしょうし、そうなれば、「あの経験は有益だったな」と考えが変わるかもしれません。
まあでも、やはり、避けられるなら避けるに越したことはないでしょう。
私のひきこもり経験記
私は、大学3年生の春に引きこもり、そのまま3年目は1度も大学に行かずに退学しました。引きこもり期間は、2回に分けて合計半年間と、著者の6年間と比べれば全然短いです。
でも、その半年間は本当に大変でした。
「神童だった」という著者ほどではありませんが、私も勉強は良くできて、割とみんなが名前を知るだろう大学に入学します。ただ私は、中学生の頃からずっと、「社会には出られないだろうなぁ」という気持ちを抱えてもいました。中学生の時点で既に、理由こそ明確に覚えていませんが「サラリーマンにはなれない」と思っていましたし、社会の中で働いてどうにか生きていくなんて自分には無理だろうと考えていたわけです。
ただ、勉強ができたお陰で、「社会に出られないだろう問題」はずっと先送りにできてしまいました。それで、ようやく就活が目の前にやってきた頃、さすがにもう先送りは無理だと考え、すべてから逃げ出すように引きこもるようになった、という感じです。
私は人生のほとんどの期間で本を読んできましたが、引きこもり期間中は本を読んでいた記憶がありません。とても読めるような精神状態ではなかったからです。常に頭の中では、「これからどうすればいいんだろう」という答えの出ない問いがぐるぐると渦巻いていたし、何もしたくないけれど何もしないわけにはいかないだろうという切迫感も感じていたと思います。
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