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藤壺の宮は〝物の怪のせい〟にしたくない 【第1話】
序
──死んだと思ったら、産まれていた。
ちょっと何を言っているのか分からないかもしれないが、あいにくと脩子にだって分かってはいなかった。
何せ、大学に向かう途上でトラックにはねられたと思ったら、羊水やら血にまみれて、産婆に抱き上げられていたのである。全くもって、意味が分からない。
「いや、何故に……?」
そう声に出したはずの言葉は、残念ながら言葉の形をしていなかった。
ただ
藤壺の宮は〝物の怪のせい〟にしたくない 【第9話】
第二章 空蝉の身をかへてける木のもとに
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「単純な構図、でございますか……」
「えぇそう、とても単純な構図」
考え込むように呟いた命婦に、脩子はそう言って首肯する。
脩子は光る君から視線を外して、ばぁやに向き直った。
「もしも、左馬頭が御簾越しに和歌を詠みかけた時点で、すでに六の君が死んでいたとしたら、どうだろう。だったら、御簾越しに殺害する方法も、権少将が凶器を消失させる
藤壺の宮は〝物の怪のせい〟にしたくない 【第8話】
第二章 空蝉の身をかへてける木のもとに
「権少将が犯人だと仮定するならば、凶器はどこに消えたのか。あるいは──」
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「いいわ。じゃあいったん前提を変えてみよう。仮に、権少将が犯人じゃないとする」
「はい」
光る君は心得たように頷く。脩子も小さく頷いて、言葉を続けた。
「権少将が西の対屋に忍び込んだ時点で、本当に六の君が亡くなっていたのなら。それ以前に西の対屋を訪れた人間に対
藤壺の宮は〝物の怪のせい〟にしたくない 【第7話】
第二章 空蝉の身をかへてける木のもとに なほ人がらのなつかしきかな
「それで? 今日はどんな事件の話を持ってきたのかしらね、左衛門督どのは」
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従四位外、左衛門督──それが眼前の青年の、現在の位階と官職だった。
『源氏物語』の通りであれば、本来は近衛中将であるはずの時期なのだが、彼は敢えてその道を選ばなかったという。
父親である桐壺帝には、やはり近衛(内裏内郭の警固)の職
藤壺の宮は〝物の怪のせい〟にしたくない 【第6話】
第二章 空蝉の身をかへてける木のもとに なほ人がらのなつかしきかな
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それは、月の明るい晩のこと。
青白い月明かりに照らされて、足元には紅葉の刺々しい影が揺れている。
雲間には清かな月が浮かんでいて、秋の虫たちの騒めきと、風が木々を揺らす音ばかりが辺りに響いていた。
宮中警固の滝口の武士たる男に、雅なことは分からない。
それでも、こんな晩の夜警は悪くないものだと思いな
藤壺の宮は〝物の怪のせい〟にしたくない 【第5話】
第一章 狐狸の、人に化けて池に落つること
「それじゃあ、大の男でも飛び石から落ちてしまうことに納得できたのなら……狐狸が化けた、なんて話を信じる人間もいないわけね?」
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「私はひとつ、気になっていることがあったんだ。だって、事件が発覚したのは昨日の夕方でしょう。それなのに、翌日には容疑者の特定が済んでいるという。随分と展開が早いな、と思ったんだ」
それも、容疑者たち
藤壺の宮は〝物の怪のせい〟にしたくない 【第4話】
第一章 狐狸の、人に化けて池に落つること
「そこからまた、どうして『狐狸が人に化けて殺した』だなんて話が出てくるのかしらね……」
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一応、補足していうのなら。
光る君もとい、覆面の殿上童の言葉が信用されなかった、というわけではないらしい。
むしろ、検非違使たちは「一理ある」とさえ考えて、甥っ子の文章生から元武官の男へと、疑いの比重を大きく傾けたのだという。
そうなれば
藤壺の宮は〝物の怪のせい〟にしたくない 【第3話】
第一章 狐狸の、人に化けて池に落つること
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「お二方とも、八つ時でございますよ。少しお休みしてはいかがです?」
そう声を掛けられて、脩子と光る君は揃って顔を上げる。見れば、王の命婦が御簾を引き上げるところだった。
彼女の手には、二人分のお茶と菓子が載った盆がある。どうやら随分と、時間が経過していたらしい。
「わぁ、唐菓子ですか? 嬉しいな」
「えぇ。覆盆子もご
藤壺の宮は〝物の怪のせい〟にしたくない 【第2話】
第一章 狐狸の、人に化けて池に落つること
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御簾の隙間から入る、春の陽光が眩しい。
脩子は御簾を捲り上げて身を滑らせる闖入者を、苦々しい思いで睥睨した。
殿上童の身なりをしたその少年は、窮屈そうな顔布を剥ぎ取るや否や「ぷはっ」と息を吐く。
それから、悪びれもなく「こんにちは、宮さま」と挨拶を寄越した。
脩子はじろりとその顔を睨みつけると、不機嫌さを隠さずに言う。
「…