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藤壺の宮は〝物の怪のせい〟にしたくない 【第4話】

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第一章 狐狸の、人に化けて池に落つること


「そこからまた、どうして『狐狸こりが人に化けて殺した』だなんて話が出てくるのかしらね……」

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 一応、補足していうのなら。
 光る君もとい、覆面の殿上童てんじょうわらわの言葉が信用されなかった、というわけではないらしい。
 むしろ、検非違使けびいしたちは「一理ある」とさえ考えて、甥っ子の文章生もんじょうせいから元武官の男へと、疑いの比重を大きく傾けたのだという。
 そうなれば、取り調べる検非違使にも、自然と熱が入るもの。
 すると、元武官の男は、突然こんなことを言い出したのだという。

『恐ろしくて、ずっと言い出せずにいたのだが……。本当は昨日、自分はあの屋敷には行っていない』
『最後に自分があの屋敷を訪れたのは、もう二年も前のことだ。返済を迫られると分かっていたから、昨日の呼び出しには応じなかった』
『もしも、自分の姿を見たという者がいるのなら。それは狐狸のような化生けしょうたぐいが、自分の姿に化けていたのに違いない』と。

 これには命婦みょうぶが「まぁ、なんと恐ろしい……」と震え上がる。
 脩子のまぶたはぐぐっと下がって、しまいには半眼になった。

「……あー、念の為に聞くけど、それを証明できる人は、いたのかな」
「いいえ。自宅に一人でいたというので、証明できる人はいないそうです」

 その上、男はこうも主張したという。

『あの池の飛び石の間隔は、広くも何ともないだろう。普通に飛べば、大の大人が足を踏み外す理由はない。きっと狐狸が化けていたから、人の身体での目算を見誤って、池に落ちたに違いない』と。

 全くもって、無茶苦茶な言い分である。
 脩子は痛むこめかみを揉みほぐしながら、「さすがは平安時代というか、何というか……」と、小さく呟いた。

 古来より人は、鬼や妖怪、神や怨霊といった存在を、当たり前のように信じ、そして心の底からおそれていた。平安時代というのは、鬼や妖怪、神や怨霊といった存在たちが、日常的に跳梁ちょうりょう跋扈ばっこしていた時代なのだ。
 それらは決して、現代のようなエンタメの中の存在ではなく、本当の意味で生活を脅かす存在である。
 たとえば雷鳴。電気というものに理解がなかった時代であれば、それはさぞ不可解で、恐ろしい現象に見えたことだろう。
 たとえば、かまいたち、陽炎かげろう、逃げ水だって、原理原則を知らなければ、当然奇っ怪な現象として映るに違いない。
 原理が分からないからこそ、分からないなりに、正体不明のものに理由を求めた。それが鬼であり、妖怪であり、神で、怨霊といった存在なのだ。
 彼らはその漠然とした恐怖の対象を、総じて〝物の怪〟と称したのである。

 (それを、前時代的とあなどることは出来ないけれど……)

 たとえば令和の初頭に、コロナウイルスが猛威を振るったことがある。
 得体の知れないウイルスに、錯綜さくそうする情報。
 世間に広がる漠然とした不安に、恐怖感。
 正体不明の何か、、が日常を変えていき、名状しがたい閉塞感が世界を包んでいく。
 きっとあの感覚こそが、鬼で、妖怪で、神で、怨霊の正体だったのだ。
 その時代の科学や医学が敗北してしまえば、現象や病は、あっという間に物の怪の類へと成り下がる。その程度の話だ。

 入郷而従郷、入俗而随俗。郷に入っては郷に従え。
 この時代において、異質なのは脩子の方なのである。感性をチューニングしなければならないのは、脩子の方だと分かってはいるのだが──。
 こと殺人事件なんかにおいても、そういったモノのせいにされるのはたまらない。
 そう思ってしまうのは、もうどうしようもなかった。

「あー、つまり、目撃された男は、狐狸が自分に化けた姿だった、と……。検非違使たちは、それを本気で信じたっていうのかしら」
「うーん、どうだろう。今のところ、全員が信じたわけではないとは思うんですけど。実際にその飛び石を見た人たちは皆『それも一理あるな』とは、思ったみたいで」

 湯呑みをくるりくるりともてあそびながら、光る君は続ける。

「現場に行った検非違使たちは皆、『確かに、あの飛び石を落ちるか?』と首を傾げるんです。だから僕、つい気になって、実際にその池を見に行って来たんですよね」
「え、きみ、わざわざ見に行ったの?」

 目を丸くする脩子に対し、光る君はじとっとした目でこちらを見遣る。

「だって、しょうがないじゃないですか。僕の説明で足りない情報があると、宮さまは一人で確かめに行こうとするんだから」
 光る君の恨みがましい視線に、脩子は「そりゃあ、気になってしまったら、確かめたくもなるでしょう」と反論する。

「一応、僕が持って来たお話なんですし。せめて、僕もいる時に行きましょうって、いつも言っているのに」
 そうぼやく顔には、『確かめに行くのを止めることは、もう諦めた』と書いてある。だが、脩子からすれば、不完全な情報を持って来る方が悪いのだ。

「だって、思い立ったが吉日なんだもの。たまたまその時きみがいれば、ちゃんと連れて行ってあげているじゃない。たまたま居ればね」
「……宮さまがそんな風だから、気になることは先に確かめておかなきゃ、って。僕が躍起やっきになる羽目になるんですからね」

 光る君が、じとーっと恨みがましい視線を送ってくる。
 脩子はそれに苦笑で応じつつ「それで?」と話の先を急かした。

「その池、ちゃんと見て来たんでしょう。どうだった?」
「……はい。中級貴族の屋敷だし、池そのものは、中島があるほど大きな規模ではなくて。ゆるい瓢箪ひょうたん型の池が、庭の大半を占めているような形でした。飛び石の数は四つで、対岸まで渡されていたんですけど……」
「けど?」
「飛び石同士の間隔は、確かに広くはないんです。むしろ狭いくらいというか……。大人なら、大またでまたげるくらいの間隔なんですよね」

 光る君は、手で幅を表現しながら言葉を続ける。

「それに、一つ一つの飛び石も、結構大きな物だったんです。それこそ、大人でも、二人同時に乗ることが出来そうなくらいには。こけが生えているわけでもなかったし、滑ることも、小さな足場だから体勢を崩した、なんてことも考えづらくて」

 光る君は、そこで一旦言葉を切ると、うーんと考え込みながら言う。

「いくら急いでいるからといって、大の大人がうっかり落ちるほどかな、というのは確かにその通りだな、と。ちょっと釈然しゃくぜんとしない気持ちも、分かるというか……」
「ふうん。小男ならともかく、元とはいえ武官なら、それなりに体格もいいんだろうしね。それも、疑問に拍車をかけている、と……」
「そういうことです。だから、現場を見た検非違使の中には、本当に狐狸が化けて殺したんじゃないか……なんて言い出す者も、現れてしまって」

 光る君の説明に、ふむ……と、脩子は顎に手を当て考える。
 それから湯呑みを啜って喉を潤し、脩子は薄く笑った。

「それじゃあ、大の男でも飛び石から落ちてしまうことに納得できたのなら……狐狸が化けた、なんて話を信じる人間もいないわけね?」

 すると、光る君はハッと顔を上げ、期待に満ちた眼差しでこちらを見る。
 そんな分かりやすい反応に苦笑しながら、脩子は再び口を開いた。

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