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宿災備忘録 四季 対岸の君と逡巡の季節 夏・壱3

 顔面を覆うほど伸びてしまった前髪と、肩を過ぎてしまった後ろ髪を、ばさりと切り落としてもらった。少し幼い印象になった姿で、深遠は維知香の戻りを待った。床屋の店先、赤、白、青が回転するポールの横に立ち、通りに視線を向ける。

(ここも随分と西洋化が進んだな……人が変われば町も変わる。だがこの地の結界は、綻び知らずだ……あの人は、相当優秀な術師なのだな)

 こちら側の時間で言えば遥か昔、この周辺は落人の隠れ里であった。戦で破れ、この地に辿り着いた者の中に、鷹丸家の祖先がいた。まだ姓を持たなかった槙家の祖先も。

 鷹丸家は忍として武将に仕え、数々の難事を処理してきた。ただの忍びではなく、気象を読み司る、稀有な存在として。

(生き延びるためには、致し方のないこと……)

 戦乱の世において、異能の者は脅威として命を奪われるか、役立つ者として重宝されるか、そのどちらかしかなかった。鷹丸家の祖先が選んだ道を、深遠は否定するつもりはない。しかし、もしも命が繋がれなければ、宿災というさだめに生まれる者もいなかった。

(…………やめろ)

 宿災。その言葉を脳内に響かせれば、維知香の姿が浮かぶ。彼女の存在を否定するような真似をした自らを嫌悪。長く息を吐き、目を閉じると、鼓膜に声が刺さった。

「お待たせ! あら、とっても素敵になったじゃない。これなら顔がよく見えるわ」

 深遠の目の前で、維知香は跳ねるように体を動かす。手には大きな風呂敷包み。深遠がそれを持とうと手を伸べると、維知香は包みをきつく胸に抱え、首を振った。

「ありがとう。でも、これは私が持つわ……さあ、お花を買いましょう。貴方の両手で抱えきれないくらい、たくさんね」
「そうだな」

 維知香が選んだ花は、白いユリ。同じ印象を故人に持っていたことに仄かな喜びを覚えながら、深遠は花束を腕に抱え、正一の墓前へ。

 墓石は屋敷の有り様と似て荘厳で、強い日差しに照らされた石の輝きは、在りし日の正一の力強さを思い起こさせた。

「先にどうぞ。ゆっくりお話して」

 ユリを供えた後、維知香は数歩下がり、深遠ひとりに墓前を譲る。深遠は跪き、両手を合わせた。

 あの夜、涙を流したせいだろうか。今、目元に込み上げるものはない。ただ静かに、一族の長として長年尽くした故人に、どうか安らかに、と願いを届ける。刹那流れを強めた風。目を開けると、ユリの花が頭を縦に動かしたように見えた。

 立ち上がり、深遠は維知香に場を譲った。しっかりと折り目のついたスカートを手でまとめ、維知香は風呂敷包みを胸に抱えたまま、淑やかな動きでしゃがみ込む。しばし祖父と語らった後、立ち上がって優雅に振り返った。

「これ、一番最初に褒めてくれたのは、おじい様なのよ」

 維知香はスカートを左手で軽く持ち、その姿を主張して見せる。

『制服が良くお似合いです。早く戻って褒めて差し上げたらいかがです?』

 灯馬の言葉が脳を駆け、深遠は思わず視線を逸らした。

「深遠?……やっぱり着物のほうが良かったかしら? 洋服って何だか違和感があるのよね。鏡に映る自分の姿に慣れないって言うか……似合ってないのかしら?」
「そんなことはない……良く似合っている。と思う」
「と思うって何よ! そうよね、深遠に女性の格好について尋ねるほうが間違っているのよね。私が悪かったわ」
「……訂正する。とても良く似合っている」
「本当に?」
「ああ」
「嘘をつく理由はない?」
「ああ……」

 言葉に詰まった深遠。その姿に笑いを零しながら、維知香は深遠の隣へと歩を進める。

「帰りましょう。貴方が帰ってるはずっておばあ様に伝えてきたから、きっと豪勢なお夕飯を用意しているわ。今夜は、うちに来られるでしょう?」
「お邪魔させてもらうよ……ありがとう」
「どういたしまして。さ、行きましょう。おじい様、また来るわね」

 維知香は墓石に向かって手を振る。深遠は深く頭を下げた後、維知香と並んで、歩を進めた。


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