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御神木ミラクル

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一本の銀杏の木に、ぎんなんいっこ。
・・・と、蝉の抜け殻。

が挟まっていた。
ただ、御神木を見上げた瞬間に、これを見つけた私はラッキーだ。


え?ぎんなんって挟まるの?

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挟まっています。


蝉の抜け殻って、挟まるの?
しかも、もう、とっくに10月の終わりですけど・・・。

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挟まっています。
木の皮に乗っているみたいに。


さすがは御神木だから。
手を当てて、エネルギーをもらいながら、
不思議だなあ!夏と秋が一緒にいる。


大人のくせに、こういうものを見つけてしまう。
子どもの時から、そういう部分があった。
芝生の上でくるくる回って倒れ込み、空が回るのを楽しんでいた。
自分の背丈より高いところから、恐々飛び降りて達成感を味わったり。
雀を捕まえる罠を本気で考えていた。

そして、ある日、羽が傷ついた鳩を見つけた。
伝書鳩に心底憧れを抱いていたので、そうっと連れ帰って、テーブルの下に段ボールを置いて隠した。
見つからないわけがなく、買い物から帰った母に叱られて、放しに行かなければならなくなり、ノートの切れ端に住所を書いて、セロテープで脚に巻き付けた。
伝書鳩みたいに。
そして、泣きながら鳩を元の場所に置いて帰った。

何日か経ち、一人のご婦人が訪ねてこられた。
「お宅さまの鳩でしょうか。住所が書かれていましたので。」

丁寧な口調で、鳩を持っている。
今、考えたら、かなり可笑しい。

「何でこんなことをしたの?」
とさらに叱られると思ったが、想定外の出来事で母はため息をついて、自ら鳩を放しに出かけて行った。

母の実家近くで猫や犬も連れ帰った。
猫は、小さくはなかったが、お人形用の乳母車に大人しく乗ってくれたので、そのまま連れ帰って、
「飼えないのよ。言ったでしょう?返してきなさい。」
と言われて、猫にごめんね、と言いながら、泣きながら返しに行った。

何となく目に入るものは、何かのメッセージだと今も思っている。
出会いが呼び起こす感情は、長い年月が経っても忘れない。
よそ見は叱られることが多いけれど、私は大事なことだと思っている。

人生には伏線が必要だし、それがあるから自分を違う角度から見つめ直すことができると思っている。
一つのものを多角的に見る訓練は、実は子どもの頃の無駄にあるんじゃないかしら? と、おかしな子どもだった自分を正当化している。

本日、御神木に見事に挟まった「ぎんなんと蝉の抜け殻」を見て、このミラクルを見つけた秘密は私だけのものにしようと思ったけれど、noteに書いてしまいました。




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