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「結果にこだわらず進捗を大事にする生き方を」(早く一人前になりたいと焦るあなたへ)

書店になら何時間でもいられる。
待ち合わせは、書店がいい。
装丁にこだわった本には、つい手が伸びる。
大学生の時に、装丁デザインの授業があった。
まずは、想定したい本を選ぶ。
日本の作家、海外の作家・・・。
友人が選んできた本で、その内面を知る驚きや納得感が楽しかった。

私は、フィッツジェラルドの『グレート・ギャツビー』に決めた。
既に何度も読んでいた本。
もう、どんなものだったかも忘れたが、黄色をメインにして、フラッパーのシルエットや、車、当時の装飾などで構成したと思う。

森茉莉の作品にしたいとも思った。
日本にいながら、ヨーロッパのトーンが混在している色のイメージ。

そんなことを思い出しながら、書店を歩き回っていて、一際目立った装丁が愉快で手に取った一冊が、
『ハマトンの知的生活』である。


知恵の象徴とされるフクロウ。
こっちを見ている。
すっきりしていて目立つ・・・とぱらぱら捲る。
そして、そのまま連れ帰った。

P・G・ハマトンは、英国ランカシャ生まれの画家、随筆家。
知的生活論や伝記、美術評論などの著作を多数出版している。
文筆家として名を馳せ、いかに知的、精神力を高め充実した毎日を送るかについて語っている。
そして、明治以降、日本の旧制高校や大学の英語教科書などでさかんに使われてきたという。

「結果にこだわらず進捗を大事にする生き方を」(早く一人前になりたいと焦るあなたへ)
という文章。

何よりも、旅が一歩一歩進んでいくことを楽しむことです。旅の終わりばかりをやたらと心待ちにしてはいけません。文明の地への帰還を、苦難の終わりだとか、危害からの避難だなどと考えるよりも、冒険に満ちた楽しい生活が終わって残念だくらいに考えた方がいい。
このように考えれば、危険を冒すことも少なく、知らない間に前進し、一歩一歩着実に進んでいけるでしょう。そして、進むにつれて、その国がどんな国であるかわかってきます。

そして、振り返ってみると、驚くほど長い距離を旅したことに気づくのだ。
人生は旅だった、と頷きながら進む。

われわれが短気になるのは、おもに自分の能力に対するアマチュアらしい不安感からきているのではないかと思います。この不安感には、仕事が完成するのを一刻も早く見たいという激しい焦燥感がつきまといます。仕事がその途中の過程にある限り、期待と不安に苛まれるからです。思うような成果を得られないのではないかと途方に暮れ、そうかと思えば、成功の期待に胸をときめかす。そのために焦燥感が生まれ、綿密な仕事をする場合には不可欠な冷静さが失われてしまうのです。


俯瞰してみる、優先順位をつけるなど通常の仕事では当たり前に考えることなのに、自分の力量をもっと正確に知る努力はしているかしら?と自問自答する。

これが若い文筆家が焦燥感にとらわれる第一の原因であり、またすぐに海底に没することがわかっていながら出版界という大海原に作品を送り出してしまう理由なのです。急いで仕上げたのであるから、その未熟さのために沈没してしまうのはわかりきっているのに。



ドミニク・アングル(仏の画家)が、弟子たちに最終的にこれでよしという構図が決まるまで、最初に描いた下絵を何度も何度も描き直すように助言した話が載っている。
それは、文学におけるバルザックのやり方と全く同じだという。

この二人の文学者と画家は、旅をする時の要領というよりも、むしろ開墾をする時の要領で仕事を進めたのです。彼らはまず、植民地が未開の自然の中に開墾地を大雑把に定めるように、ざっとした構図を描く。そして、少しずつ開墾地を拡張していくように、その構想を繰り返し検討して練り上げていったのです。


それに対して、ウォルター・スコットやオラース・ヴェルネ(仏の画家)、ジョン・フィリップ(スコットランドの風俗・風景画家)など、多くの文学者や画家は、どちらかと言うと、旅をする要領で仕事をしたのだという。

つまり、決して後ろを振り返らず、先へ先へ進んだのです。きのうの誤りを直すために後戻りすることは決してなかった。

どちらの仕事にも慎重さが要求されるが、特に後者の場合は絶対的慎重さが必要だと書かれている。

一足飛びに何かできると焦るのではなく、その過程を楽しんで生きたら人生は素敵になるなあ!



先ほど、息子のクラスメイトが参加する、「俳句甲子園」の決勝戦があった。
見事優勝していた!

毎日、毎日淡々と、積み重ねてきた成果である。
3年間担任していただいている先生が顧問であるのは、幸せなことだ。
古文を教わっているけれど、子どもが作った俳句は見たことがない。
先生の句集の装丁デザインにも思いを馳せる。
水面下で掻いている鳥に、上記の本の如く着実に努力することの大切さがみえるような気がするのは、私に足りていない部分だからだろうか・・・。



書くこと、描くことを続けていきたいと思います。