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私たちの「心が欲しているもの」再びᴀʀᴛ & ᴛʜᴇʀᴀᴘʏ ᴏғғɪᴄᴇ ʏᴜᴍɪᴛさんの記事【アート思考 Vol.3】から

再び、ᴀʀᴛ & ᴛʜᴇʀᴀᴘʏ ᴏғғɪᴄᴇ ʏᴜᴍɪᴛさんの記事の続きをシェアさせてください。
ビジネスに生かされていく『アート思考』という、またしても興味をそそられる、大変勉強になる記事をお書きになられています。
毎回、noteで勉強させていただくことができて嬉しいです。

機能性や効率を追い求めてここまでやってきた私たちは、ここにきて今度は「心を満たしてくれるもの、心を豊かにしてくれるもの」を欲するようになっているのですね。

このᴀʀᴛ & ᴛʜᴇʀᴀᴘʏ ᴏғғɪᴄᴇ ʏᴜᴍɪᴛさんのお言葉は、みなさんの暮らしの中で実際に感じられていることではないでしょうか。



先日、小学校受験の塾の校長先生とお話しする機会がありました。
良い機会をいただいたので、小学校受験の絵画について質問をしてみました。
良い悪いということではなく、純粋に私の中の疑問であったことを教えていただきたいと思ったのでした。

自由な発想ではなく、「このように描くのだ」と習う絵画を仕上げて行くのは、「感じる」よりも、「考える」作業のように感じます。
例えば「顔や体はこのように描く」、「季節の絵はこういうもの」という概念で描くことから入るのは、自由な表現とは違うものに感じていました。
枠を塗ってから、きちんと塗りつぶす暗黙のルール。
ここに、私は独創性を感じることができずにいました。

これからの社会で活躍していこうとする時に必要なのは、創造性であると思っている私には、「小学校受験の絵画を教えて欲しい」という依頼があるたびに、意味が見出せずにいました。
他の教科との総合で合否が決まるので、学校によって重要度は様々であるとは思いますが、また配点もわかりませんが、絵画も判定されることになります。
判定基準は、きちんと描けている事なのか?
教養や知識?それとも知能や成長の度合い?その全て?
本来、絵を描くという行為とは別のものを要求されているように感じたからです。

私自身、子育てをしてみて、小さい時期に身につけることは、子どものその後に大きく関わってくるように思います。
受験のやり方から脱却できない場合にどうなるか?
果たして、その後に再び、創造的な手法を編み出すことができるのか・・・。

慶應SFCでビジョンマッピングなどを手がけられていたという先生は、実は同じことをお考えになられていたようでした。
そして、親御さんの中には別の絵画教室に同時に通わせている場合もあるということを教えてくださったのでした。
(ただし、考え方は自由であって良いと思います。)

例えば、クレヨンの紙を剥いて横に滑らせてみたら、全然違った雰囲気になることだけでも、子どもにとっては大きな発見であると思います。
一本のクレヨンからどれだけ豊かさを表現できるか・・・。
枠からはみ出すことで、偶発性が生み出す「美の世界」があるかも知れません。
それを「感じる」のは、表現者としても重要なことですが、世の中にも必要とされる能力であるように感じています。

そんなことを考えながら、改めて読ませていただき、AIが活躍する時代に必要とされる人材にまで思いを馳せてしまいました。

今回もまた、ᴀʀᴛ & ᴛʜᴇʀᴀᴘʏ ᴏғғɪᴄᴇ ʏᴜᴍɪᴛさんの素晴らしい記事を、おすすめいたします。

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