お正月 ・ 「書く」ということ
お正月はおめでたいのに、子供の頃からそんなにテンションが上がることはなかった。
人がたくさんいるところが得意ではないし、ひなたのぬるい感じに浸っているうちに、時間がすぎるのがゆっくりすぎてつまらなくなってしまうのだった。
塗り絵、人形遊び、絵本を読むことも、一通りやってしまうとやることがない。
外に出て、従姉妹と蝋石でアスファルトに絵を描いたり、けんけんぱをしたりして、帰ってくると、またやることがない。
父は、新聞記者をしていて、お正月も原稿を書いていた。
広くもない家で、テレビの音も大きくできないし、書いているときは大声で笑ったりすると母に窘められた。
仕事しているところをちらっと覗くと、父は、上綴りで罫のない、手のひらサイズの真っ白なメモ帳にびっしりと書かれた取材の成果を眺めては、原稿用紙に何やら書きつけていた。
常に黄色が目印のBiCのボールペンで取材メモに書き込み、原稿用紙には、削りすぎずに芯が丸い三菱ユニの4Bの鉛筆で、太い文字を走らせていた。
なめらかに滑るから4Bがいいんだ、と聞いた様な気がする。
それを、肥後守(ひごのかみ)という万能小刀で削っていた。
思えば、美大受験も、デッサン用の鉛筆をカッターで削ることから始まる。
ユニかステッドラーを、横にしても引っ掛からないように、長く芯を出して削る。
なめらかに滑るように。
ある小説家の方は、極太の万年筆を使って、文字を流れるように書く、というのを大人になってから読んで、頭に『何か』が湧いてきてしまうと、すらすら書けないとイライラするんだな、と思ったものだった。
今となっては、PCを打つスピードに頭が慣れて、手指に流れるように言葉を紡げないと遅い気がするのと似ているかも知れない。
家の中は、天井まである本と、茶色いスクラップブックで埋まっていた。
昔懐かしい、糊で貼るタイプのスクラップブックに貼りつけるために、よく新聞の切り抜きを手伝わされた。
記事の罫線や飾り罫のどちら側を、どれくらいの幅で切るという、細かいこだわりが父にはあって、それに準じてハサミで切る。
「そこで切っちゃあ、だめだ。」
そう言われるなぁ、と思うと、貼るときに糊で寄せてごまかしてくっつけていた。
フエキ糊の加減を間違えて、乾くまで開いたままにするが、畝ってしまうことも度々だった。
祖父も新聞記者をしていて、当時、荻窪から移り住んだ東京郊外の家にも、本棚にびっしりの本と、茶色いスクラップブックが大量にあった。
雨が降ると、いや、降らなくても、紙の匂いがする。
アラジンの薄緑色のストーブに薬缶がのっていて、湯気が立ち上っていた。
紙の匂いと、ストーブの灯油の匂いが混じったものが、祖父の部屋の匂いだ。
茶色いスクラップブックには新聞の切り抜きがびっしり貼ってあり、1とか2とか、背表紙に書いてあるけれど、個人にしかわからない資料だ。
しかし、こうして文章を書くための「下ごしらえ」をするのだということだけは、私の頭に刻み込まれた。
祖父も父も、何冊かずつ本を書いており、それも、こうして緻密に調べて咀嚼した上で書いたのだろうと思ったら、今まで、文章はいい加減には書けないな、と躊躇していたのが本心だ。
言葉については、本当に厳しく言われた。
姉弟喧嘩をしているときに、ひどい言葉を使おうものなら、必ず、言い直させられた。
「一度、口から出た言葉は、二度とは口に戻せない。
よく考えてから、口にするように。
今の言葉は、別の言葉でどう言い換えればいいだろうか。」
書いたり、話したりする言葉は、人を死に追いやることすらあるのだから、と。
そして、言った方は忘れても、言われた方は忘れないのが『言葉』というものであると。
当時、父に言われていたことが、今になってSNSなどで人を死に追いやるような事件につながっている。
相手の体温を感じることなく、生身の人間を射抜いてしまう『言葉』という毒のついた矢は、恐ろしいものだと思う。
何かの数で人より優位に立ちたいとか、自分と人を比べる対象にして自慢するとか、ある種の人を一括りにして個人をみないとか・・・読んでいて、悲しい気持ちになるものに遭遇すると、自分はどうだろうか?と、いちいち省みる習性が私にはある。
個人の自慢ですら、人を傷つけることにつながる場合もあるのだから、気をつけなければならない。
女性雑誌の中の優雅な生活が、丸ごと本物の人もいるかも知れないが、庶民が憧れるように、モノが売れるように創作されている部分があることも、念頭にあるくらいが丁度よいように思う。
実は、気軽なようで、気軽ではない『言葉』の扱いについて、考えすぎるきらいがある私は、今まで、短いものを書いている方が気が楽だった。
感じたままを短い文で書けば、余計な表現は削ることになる。
それでも、怖がっていたら何も書けないと思い始めたのが、昨年、noteを初めてからだ。
素晴らしい小説や随筆を書かれる方のnoteを読んで、感動すると共に、そのように考えるようになった。
そんなに堅苦しく考えなくてもいいのではないか。
「下ごしらえ」のないものを書いたって。
思うままに書いたって。
父は、本当は絵を描きたい人だった。
それでも、まだ、絵にしろデザインにしろ、食べていくには仕事がない年代に生きた人であったので、祖父と同じく文章を書く職業についたらしい。
40代で他界して、父を知る人は道半ばで・・・と言った。
やりたいことは、どこまでできたのだろう。
私は、どちらの才能もないけれども、やりたいことは父から受け継いだのかも知れない。
今年は、今までよりは少し、長めの文章が書けるようになりたいなぁ。
さて、今年の抱負にしてみた。
書くこと、描くことを続けていきたいと思います。