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O'KEEFFE

ジョージア・オキーフの本が何冊か、手元にある。
特に花の絵は、頭がこんがらがってしまったような時に眺めている気がする。
そして、底力が欲しい時も、同じように眺めている気がする。

ジョージア・オキーフの花の緻密な細部や南西部の雄大な風景を凝視するとき、われわれはその観察眼の鋭さや好奇心に魅了される。彼女は孤独になればなるほど、世界から取り残されたものに目を向ける。今日においても、彼女の残した作品がこれほど強い力を放っているのはなぜだろう。その絵画に描かれているのは花や骨、建造物であるが、時にはものの見方を教えてくれるものでもある。

「想像力をかきたてる新たな文脈に置き直す。」

この言葉を、解説の中にみた。
普段の見え方を、違うものとして見ることができた時、それが想像する力になるということか。

この本のサブタイトルは、

写実と幻想が奇跡のように溶け合う、オキーフの美の花園に迫る。

そうなのだ、と思った。
写実と幻想が溶け合っている。
それを見るものは、新しい視点をもらえるのかも知れない。

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以前、違う話をしている最中に、オキーフが浮かんだことを記事に書いた。


やはり、個性が特別に際立っている。
だから、記憶の襞の中から浮き上がるかのように、思い出されるのだろう。

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ジョージアが残した作品群は、独自なものの見方の可能性を示していよう。複雑な自然を単純な形態に置き換えることで、そこにわれわれの想像力の入り込む余地が残されている。そして、自然には詩があり、幾何学には美があることを教えてくれる。

自然には詩、幾何学に美。
改めて、ジョージア・オキーフの凄さを思う。

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この写真が、とても好きだ。
歳を重ねて尚、この背筋の伸び具合いに意志を感じるのだ。
孤独、という言葉より、『孤高』という言葉が浮かぶ。
素敵な人だな、と思う。

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