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梅と鶯

梅の花 見にこそ來つれ うぐひすの
ひとくひとくと 厭ひしもをる
           (読み人知らず)


梅を見にきたら、梅の木にいた鶯が「ひとくひとく(人が来た、人が来た)と嫌がった、というユーモラスな内容。
平安時代の『古今和歌集』にある「梅と鶯」を題材とした和歌である。

万葉集にも、漢詩私歌集にも、そして、古今和歌集にも、「梅と鶯」は複数詠まれているという。

美しい声で春を告げる鶯と、美しい花で春の訪れを知らせる梅の木を、詩歌や絵画の題材として合わせる。
それは、優美な感じがする組み合わせだ。
(「牡丹に唐獅子」、「松に鶴」のように、リアリティは問題ではないようだ。)

「梅に鶯」のルーツについては、古代中国の花鳥風月を詠んだ漢詩に由来するとも言われている。


今日、いつも必ず立ち寄る香りの良い梅の木に、小さめの鳥がとまっていた。
木の枝にいる綺麗な鶯色。
この写真より、鮮やかな緑で美しく、梅の花の中で飛び回る姿は愛らしかった。

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「鶯!」
と張り切って撮影。
でも、調べてみたら、こちらはメジロ。

でも、花札の「梅に鶯」は、こんな感じだったような。

調べてみると、鶯の体が地味な色のため、花札の絵柄にそのままデザインしてしまうと地味になってしまう。
それで、メジロのような明るい色を採用したのではないか、と書かれていた。
近現代の絵画でも「梅と鶯」という題で、メジロのような色合いの鳥が描かれることがあるが、これも色彩優先であるのでは、というのだ。

以下の文によると、メジロが梅に来るのは、美しいけれども大袈裟なことではないらしい。

それでも、梅と鶯色という「綺麗な色合わせ」をみたので、満足である。
「日本の伝統色」という色見本に出てきそうな、着物の色に使われていそうな、
日本らしい美しい組み合わせだった。

「梅に鶯」というのは梅にウグイスが来ると言う意味ではないのです。二つのものが調和したり似合ったりすることのたとえなのです。梅は春を待つ人々に咲きかけ、春告鳥とも言われるウグイスは春の訪れを歌い共に親しまれました。この二者を取り合わせることはこの上もなく春の訪れを盛り上げてくれます。和歌や絵画に好んで取り上げたのは梅にウグイスがよく来るからではありません。日本人の早春のイメージであり理想であり文化なのです。
「梅に鶯」は辞書にも載っている意味の定まった言葉です。取り合わせが良い二つのもの、美しく調和するもの、と言う例えの成句です。成句、つまり決まりきった言い回しなので、それが間違いと言っても始まらないのです。「猫に小判」も成句です。小判で遊んでいる猫なんぞ見たことがないので間違いと言っても始まらないのです。
「梅に鶯」、この例えは、単に併せておくとよいとか並べておくと縁起がいいというより、もっと憧れに満ちた強い想いが込められています。
   <梅とウグイス、早春を代表する二大スター、夢のコラボ>
今風に言えばそのような気持ちを込めて私達の祖先は梅と鶯を取り合わせることはすばらしいと思ったのです。滅多にない事だからこそ憧れたのです。
一方、「梅に目白」の光景は、メジロがいる地域で梅が咲いていれば毎日でも見ることが出来ます。美しい光景ですが憧れの的になるほど大げさなことではありません。

以下のサイトから引用させていただきました。






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