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『ティファニーで朝食を』の猫「cat」

この映画を何度も見てしまう。
そして、猫は、「cat」という名前なのだった、とその度に思う。 

名無しのねこちゃん「cat」。

「cat」が棚の上にいるシーンが好きで、引越し先を探している時に冗談で、
「ホリー・ゴライトリーの部屋のように、猫が歩く棚がある部屋がいいわ。」
と友人に言っていた。
ホリーの家のパーティーの時には確か、棚からポールの頭に降りてくる、
名無しのねこちゃん「cat」。

そして、まさかのことが起こり、本当に白い棚が頭上にある部屋が現れた。
私には、たまにそういうことが起こるのだけれど、さすがに猫の棚が出現するとは驚きで、いとも簡単に願いが叶った。

猫は高いところが好きなので、とてもご機嫌だ。

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ホリーのcatは虎猫だけれど、我が家のmaroはキジ猫である。
動物病院で、「この子に入院は無理ですね。」と言われるほど、臆病な猫なのだが、この棚の上は大好きだ。

映画の最後に、ホリーがタクシーから土砂降りの中に「cat」を放り出してしまうシーンがある。
その辺りから、毎度、私は涙を流してしまうのだ。
ホリーを愛しているポールは、
「ホリーは自分が作った檻の中に入っている。そして、その檻はどこへ行っても付き纏うだろう。」
と言い、お菓子のおまけの指輪にティファニーでイニシャルを入れてもらったものを投げ捨てていく。
そして、その指輪をはめたホリーが猫を探すポールに追いつく。

路地で「cat!」「cat!」と泣きながら探すホリーは、一番この「名無しのねこちゃん」の気持ちがわかるはずなのだった。


自分が作った檻の中にいて、その檻はどこへ行っても付き纏うという表現は、初めて見た時に胸にきた。
誰にでもあるのではないか。
自分で作った檻なのだから、本当は出口も分かっていて、自ら出てくることもできるはずなのに、そこからは出られない気がするのだ。
檻または、殻といってもいいのかも知れない。
そこから出ることは、未成熟な弱い自分を曝け出すようで怖い。
傷つきたくないと思うと、人は自分の周りに檻やバリケードを作る。
狡猾な獣に食べられるくらいなら、あえて檻の中で自分を守ろうとする。
一歩出てみたら、心が自由になるかも知れないのに。

胸の前で腕を組む人は、心を守ろうとしているのだ、と聞いたことがある。
無意識に自分を守りながら生きているのだけれど、
「心を開いてほしい。」と願う近しい人には、受け入れてもらえないような寂しさを感じさせるかも知れない。

自分にも重なる部分があるから、この表現が心に響いたのかな、と思ったり。
「cat」が見つかってよかった、よかった!で涙を誤魔化すのも毎度である。


綺麗な背中と、コケティシュな仕草。
「心がいやったらしい赤」に染まるとき、ティファニーに行くと落ち着くというホリー・ゴライトリー。
ホリー(オードリー・ヘプバーン)は、
「その店内の静けさと、つんとすましたところがいいのよ。」と、早朝のティファニーについて語る。

NYを訪れた際に、行ってみた。
そして、ひとつ銀の指輪を買った。
というより、それしか買えなかった。






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