映画『グランド・ブダペスト・ホテル』お菓子のようにかわいいだけ?色彩とアスペクト比の魔法
独特な視覚要素と斬新なストーリーの映画づくりで知られてきた、ウェス・アンダーソン監督。
『アンソニーのハッピー・モーテル』(1996年)での長編映画デビュー以来、独自の撮影手法が評価されてきました。
2018年にはアニメ映画『犬ヶ島』で、ベルリン国際映画祭銀熊賞を受賞し、輝かしいキャリアを進んでいます。
ウェス作品の特徴は、どのシーンを切り取っても不思議な静止画として成り立つこと。
眺めているだけでなぜか惹きつけられる、不思議な魅力に満ちています。
ウェス監督は作品にどんな魔法をかけ、見る人を魅了しているのでしょうか。
21世紀映画を代表する名作『グランド・ブダペスト・ホテル』(2014年)を題材に、ウェス監督の魔法に迫りましょう。
第87回アカデミー賞で4冠に輝いた本作。注目すべきポイントは、劇中における色彩表現と、「アスペクト比」と呼ばれる画面比率です。
映画『グランド・ブダペスト・ホテル』あらすじ(ネタバレなし)
作品の魅力に迫る前に、映画『グランド・ブダペスト・ホテル』の簡単なあらすじを見ていきます。
『グランド・ブダペスト・ホテル』は、ある高級ホテルでの出来事を描いた作品。
本作の特徴はストーリーが大きく3つの時代に分かれ、入れ子構造で描かれている点です。
物語は東ヨーロッパに位置するという設定の、架空の街「ズブロッカ」で展開されます。
1985年、1人の作家が書斎で、かつて大富豪の老人から聞いた回想を語り始めます。
17年前の1968年、作家は静養中の古いホテルで、ある老人と出会いました。老人はこのホテルでベルボーイとして働いていた当時の話を語り始めます。
ここで時代は、さらに1932年までさかのぼり、まだホテルが美しい外見で多くの客に愛されていた時期が映し出されます。
当時の名コンシェルジュだったムッシュ・グスタヴ・Hを軸に、30年代の全盛期におけるホテルでの出来事が展開されていくのです。
画面を眺めているだけで楽しめる要素|時代ごとの色彩表現とアスペクト比
本作には画面を眺めているだけで楽しめる視覚的要素があります。
時代を描き分ける色彩表現とアスペクト比です。
アスペクト比とは、スクリーンにおける縦横サイズの画面比率のこと。映画のスクリーンは大きく分けると、以下3つのアスペクト比に分類されます。
『グランド・ブダペスト・ホテル』の各時代は、3つの異なる色彩とアスペクト比で演出されているのです。
以下の動画は英語音声ですが、色彩と画面比率の変化が視覚的にわかりやすく提示されています。
各年代の色彩と画面比率の詳細は以下です。
視覚的要素に注目すると、時代の変化が一目でわかります。
とくにピンクで彩られた30年代のホテルは、ケーキのような外観で、全時代の中でもかなり魅惑的に見えるでしょう。
色彩表現とアスペクト比が語る真実
各時代を描き分ける、色彩表現とアスペクト比。ウェス監督は2つの視覚的要素に、どんな思いを込めたのでしょう。
映画全体を見ればわかりますが、メインの語り手は、作家にホテルの物語を聞かせてくれた大富豪です。
さらに映画の主人公は、大富豪の回想に登場するコンシェルジュ「ムッシュ・グスタヴ」にほかなりません。
物語は上記の順番に、入れ子構造で展開されているのです。
主人公は先述の通りムッシュ・グスタヴのため、視覚的インパクトは下へ行くほど強烈になる必要があります。
だからこそ映像も、
上記のように変化しているのです。
各時代の色彩とアスペクト比に込められた意味について、時代ごとに詳しく見ていきましょう。
過ぎ去った時代へのノスタルジー|懐かしの30年代
まず30年代のホテルの外観が、ピンクを基調としたかわいらしいデザインである理由を考えてみましょう。
これは第二次世界大戦前の、モダンで明るい雰囲気へのノスタルジーを表していると思われます。
名コンシェルジュのムッシュ・グスタヴが、富裕層向けに提供する優美な空間。そんなエリート向けの空間を、ピンクや赤を使い、まるでかわいいお菓子のように彩る演出。
これによって30年代の映像は、エリートへの嫌みではなく、過ぎ去った古き良き時代への愛着を表現することに成功しています。
アスペクト比はスタンダード。30年代に流行していた実際の画面サイズに近いことから、当時の映画へのオマージュとなっています。
ポップな色彩とレトロな画面サイズが、「古き良き時代」を描き出しているのです。
共産主義時代への突入|管理下の60年代
30年代から一転して、60年代の映像に描かれているのは、戦争の暗い影です。
30年代のホテル内は、絨毯が赤、壁や柱がピンクで彩られていました。
しかし60年代のホテルは、カーキ色の絨毯に茶色い内装のため、まったく印象が異なります。
人物も30年代はお客と従業員が至るところに配置され、賑わいが見られました。しかし60年代は、数名の人物しかおらず閑散としています。
これは戦後、ズブロッカがソ連に占領され、共産主義時代に入ったことを表しています。
贅沢な装飾が禁じられ、実用的なものだけを配置するホテルの内部。
ただホテル内が簡素なのに対して、映像全体はゴールドを基調に格調高く演出されています。まるでソ連占領下のむなしさを、視覚的に皮肉っているかのようです。
60年代のホテルの姿は、統一感あるシックな印象ですが、親しみは持てません。
画面サイズは、60年代の大作映画で採用されていた横長のシネスコ。30年代の物語を楽しんでしまうと、レトロなスタンダードの方が懐かしく思えるかもしれません。
説明されなくても、見る側は視覚的要素から、語り手と悲しみを共有できるのです。
印象の薄い映像|インパクトのない80年代
一般的な映画ならば、2つの時代を比較するだけでも十分ノスタルジーに浸れるでしょう。
しかしこの映画は冒頭、80年代の映像から始まったのち、残り2つの時代が展開されます。つまり3つの時代が存在するのです。
80年代は老作家の昔語りが入りますが、この作家は60年代に大富豪の回想を聞いていた相手です。
つまり80年代から60年代へと、回想の入れ子構造になっています。
複雑な構造にもかかわらず、時代の変化をすんなり受け入れられるのも、視覚的要素の効果。
ただし80年代の映像には、印象に残るものがとくにありません。
色彩面を見ると、作家の書斎は茶系の地味な色に統一され、残りの時代に登場するホテルに比べてインパクトは薄め。
画面サイズは現代人が見慣れたビスタサイズです。スタンダードやシネスコに比べれば一般的で、やはり印象に残りません。
視覚的にもっとも印象の薄い80年代。
より刺激的な60年代と30年代の物語を際立たせるため、あえてインパクトのない映像に仕上げたのでしょう。
ウェス・アンダーソン監督の魔法~お菓子のようにかわいいだけじゃない、視覚要素の巧みな変化~
ウェス・アンダーソン監督が『グランド・ブダペスト・ホテル』という映画にかけた魔法。
それは言葉で語り過ぎなくても見る人を劇中へ誘う、巧みな色彩表現とアスペクト比の変化です。
もちろん装飾の細かさや計算された人物配置、独特な間合いなども作品世界を鮮やかに彩っています。
お菓子のようにかわいいセットを楽しめる映画かと思わせておいて、黒い絶望へと突き放す演出も見事。
映画『グランド・ブダペスト・ホテル』は、重いテーマを内包しながらも、眺めるだけで楽しめる稀有な作品です。
魅惑の視覚的要素が画面に映し出された瞬間、きっと誰もがウェス監督の魔法にかけられますよ。
サポートありがとうございます。場面緘黙の啓発活動やヨガコミュニティ運営などに使わせていただきますm(__)m