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わたしの3.11

あれから、10年。
当時のことを振り返る。春から大学生になり名古屋から東京に上京するということで、胸が高鳴っていた私。

2011.3.11(金)
その日は母と買い物をしに、デパートに出掛けていた。ブラブラしていると、なんだか周りが妙にざわつき始めていることに気が付く。そんなとき、祖母から母への突然の電話。「どうしたの?」「日本が大変なことになっとる。」
慌てて電話を切り、携帯を開くと、日本でとんでもなく大きな地震があったことを知る。デパートには窓がなく、状況が掴めない。そのため、詳しいことはわからないが、大変なことが起こったことだけはわかる。急き立てられるように慌てて家に帰る。
当時の鮮明な記憶は、そこで終わっている。
そう、私はあの日、地震が起こったことに気が付かなかった。

あれから10年。あの時「日本が大変なことになっとる。」と電話をしてきてくれた祖母は、今は施設に入所し、自分から電話を掛けるという行動はできなくなってしまい、しっかりとした会話もほとんどできなくなってしまった。
その大きな変化に、静かに時の流れを感じる。

私は大学に入学をし、4年を経て卒業する。地元に帰って就職をし、その間に大失恋や病気を経験し、また上京して、転職を経て、今の職場で働き6年になる。今年は結婚をする予定だ。このように纏めると私の人生は様々なイベントと共に、大きく変化していたことがわかる。

2021年になり、3月に入ると東日本大震災に関する様々なニュースを目にする。
現在も行方のわかっていない息子さんを探し、想い続け毎日携帯にメッセージを送り続けるお父さん。始めは「大丈夫か、どこにいるんだ。」というような内容だったが、次第に「ごめんな。」という謝罪のメッセージが増えていく。
最愛の奥さんが今でも行方不明な旦那さんは、遺影を車に乗せて、日本各地の、妻と一緒に行った思い出の場所を巡っているという。最初は楽しかったが、次第に楽しめなくなって、温泉に入っていても、「妻は、海の底に沈んで寒いのに、自分だけあたたかくて、自分を責めてしまう」とのことだ。

それぞれの悲しみ、癒えない傷、後悔の念、その想いをそっくりそのまま私が感じ取ることはできないけれど、胸が締め付けられて、言葉が上手く出てこない。
「なんで、私だけが、僕だけが、、」
「あのときああしていれば、、こうしていれば、、」
そんな言葉も良く目にする。

10年間、私も「なぜ、人は生きるのか。」ということは常に考えてきた。沢山の本も読んだ。幸せになるため?夢を叶えるため?

生きるという言葉はしばしば、〇〇のためにという言葉とセットになる。
何かの目的のために生きていくのか?
何かを成し遂げるために生きるのか?

それでは、もし、幸せを見つけられない人は生きていてはいけないのか?夢を持たないと生きてはいけないのか?

また、生きるということは自分の意思であるかのように語られる。頑張って生きていくとかそんな具合に。
では、無気力な人は、もう頑張れない人は、生きる資格がないのか?
そんなことをたくさん考えた。

そんな悶々とした気持ちの中、社会人一年目の時に病気になったことで、自分の中で1つなぜ生きるのかということに対しての答えが見つかったような気がした。

それは、今この瞬間、生かされてるからということだ。
毎日、自分の意思とは関係なくお腹が減ってごはんを食べたり、眠くなったり。心臓にギュッと力を入れて止めようとしても止まらない鼓動。体の中を勝手に流れる血液。自分の意思とは関係なく、生きようとする身体を感じると、生きるというのは、能動的というより受動的なものなのかもしれないと思う。

被災者の方々の立場を思い、自分に何か出来ることはないのかとか、そんな図々しいことを考えてしまうが、前述したような、様々な想いを背負った方々の記事を読むと、頑張ってとか、元気を出してとか、そんな言葉は時になんの力も持たないことを痛感する。

それでも、何か言葉を伝えたい。そう考えていた時に、私の大好きなドラマの中の台詞を思い出した。
坂元裕二さん脚本の「いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう」という作品だ。
内容は割愛するが、その中の登場人物に純粋で思いやりのある練(れん)という男性と、音(おと)という女性が登場する。練には両親がおらず、おじいちゃんに育てられ生きていくのだが、そんなおじいちゃんがある日誰にも看取られず、公園のお手洗いで亡くなってしまったことを知る。練は、大好きなおじいちゃんがそのような最期を迎えたことで自暴自棄になる。それを救い出そうとした音が、練を連れて、自宅を解放して若者の溜まり場として提供している、しずえばあちゃんの所に連れて行く。その中でこんな台詞がある。

練を見れば、練のおじいちゃんがどんな人だったかわかる。音を見れば音のお母さんがどんな人だったかわかる。私たち、死んだ人とも、これから生まれてくる人とも、一緒に生きていくのね。精一杯生きなさい。

初めてそれを聞いた時、心の中にあった、絡んだ糸のようなものが解け、そっと毛布を掛けられたような温かさを感じた。
私が今ここに存在するのは、先祖から代々命が続いてきたからであって、一人であったとしても、独りではないという安心感と、命の重さを感じた。
毎年お正月やお盆に、会ったことのない先祖にも想いを馳せ、お墓にお参りに行くのも、そういうことなのかと思った。

亡くなった人が愛してくれた自分、自分が大切に思っていた亡くなった人、目を閉じて先祖や未来に祈りを捧げる時、お互いの想いは通じるのだと思う。
自分の周りにいるのは、必ずしも生きている人だけではない。亡くなった人も生きている人とも常に共存しているのだ。

だから、生かされている限り、自分と繋がる沢山の人達に恥ずかしくないように命を全うしよう、晴れた2021年3月11日(木)の空を見ながら、そう誓った。

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