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うわの空

チェス盤の上で、ぼくたち駒になったみたいだね。

野ねずみさんとこいぬのカイくんは落ち葉のベッドの上でチェスをしていました。
「ルークがうごくよ」
「ビショップは僧侶でも、象でもあるんだ」
駒のとりあい、カチカチした音と跳ねるひかりの粒たち。
ふたりの間を通りぬける乾いた風で、目の前のカラタチバナの実がゆらゆら揺れています。
「ぼくきづいちゃったんだ。このままルークをうごかせば、ビショップがとれるよ!」
「わあ、やっぱりカイくんはじょうずだなあ」
カイくんが白の駒を動かし、野ねずみさんの黒の駒が奪われます。

その時、
どろんぱっ。とつぜん空気がはじけたようなきがしました。
みると目の前のカラタチバナの実は、モモンガに姿をかえていました。
右手に黒、左手に白のマントをもっています。
「この黒と白のマントをつけていればチェスの駒のナイトのようになれるんだよ」
モモンガさんの目はカラタチバナの実のような、ぴかぴかした赤い色をしていました。
ふたりはおもしろそうだと思い、野ねずみさんが黒、カイくんが白のマントをつけます。

するととたんに、焦げ茶の地面がふたりの足元からもりあがっていきました。
それはどんどん大きくなり、馬のかたちになり、マントをつけたふたりは自然と馬にまたがっていました。
馬は少し身ぶるいし、片足をゆっくりあげると、とん、とおろします。
馬の蹄がふんだ焦げ茶の地面から草が生え、みるみるうちに緑が広がっていきます。
季節なんて忘れたように、ふたりは「どの季節でもない」緑の絨毯をゆっくり歩きだします。

「ぼくたちどこまでもとびこえて行けるね」
馬が走りだし、景色をどんどんとびこえていきます。
とびこえて太古の海がみえる。草原の向こうがわ、イルカの群れが、隆起した山が、動物たちの歓声が。
丘をとびこえる。音楽が鳴る。
思い出すたびによみがえる。
たてがみを揺らす馬にのり、ふたりはみつめつづけます。
それは炎の揺らめきにちらちらとうつるように、湖面にゆらめく波間の陰のひとつひとつのように。
どこまでも、どこまでも。とびこえられないものなんて、ないように。

「カイくん、馬のしっぽとカイくんのしっぽがとてもよく似ているよ」
野ねずみさんが前を走るカイくんに言いました。
「ほんとうかい?ぼくからは見えないよぉ」
野ねずみさんはカイくんのことばに微笑みます。
自分からは見えないものが、こんなにも愛おしい。

歴史をくらくらと回るように、ふたりは走っていきます。
「ぼくたちどこにたどり着くんだろう。」

そんな時、野ねずみさんは目をぱちぱちさせました。
辺り一面緑だった地面がだんだん白黒に見えてきたのです。
それはだんだんほんとうに白黒になって、カチカチした音が遠くから聞こえてきます。
それはよく見ると一列に並び、こちらに向かってきます。
「うさぎの歩兵が近づいてきたよ!」
野ねずみさんの声にカイくんが振り向きます。
うさぎの歩兵たちは、遊んだときによくみていたような、チェスの駒のような、そんなふうにみえました。

「こんどはもぐらの戦車だ!」
もぐらの戦車はめいっぱい車輪をうごかして、まっすぐ近づいてきます。
とにかく進むことがだいじだとふたりは思いました。
ふたりはもぐらの戦車とうさぎの歩兵の間を縫うように進んでいきます。
たまに馬の蹄が白黒の地面をふむと同時に、もぐらの戦車やうさぎの歩兵が一つずつ消えていくことがありました。

そのとき野ねずみさんには、カイくんの脇に剣が提げてあるのがみえました。
カイくん、ついに英雄になったんだ。
野ねずみさんはそう思いました。
カイくんが鞘から剣をひきぬきます。
やっぱりそれはチェスの駒のようにみえました。

野ねずみさんはカイくんと一緒にとびこえた、歴史のような景色をおもいだします。
くらくらと回りながら動物たちの歓声がきこえます。

あの歓声はむかし見た絵からきこえてきた気がする。
野ねずみさんはそう思いました。
その絵のタイトルは思いだせません。でもたしかに、カイくんは歴史上の英雄のようだし、革命の先導者のようにみえました。
そうみえたのは、きっとカイくんがその「絵のよう」だったから。

ああ、たしかにあの絵は回転だった。
分からなかったことが分かるようになっていく、その過程を楽しむように。
回りながら導いていく。地面を踏みしめ進みつづける。何度回ったって必ずまたここにたどり着く。
革命は、回転に旗を立て、それを少しとめる作業なのかもしれない。そんなふうに野ねずみさんは思いました。

ふと野ねずみさんが辺りをみわたすと、そこにはうさぎの歩兵ももぐらの戦車もいなくなっていました。
カイくんはもう剣を鞘にしまっていました。
「あ、あれはキングだ!」
カイくんが指さす方に野ねずみさんが視線をむけると、台座の上に王冠が置いてあるのがみえました。

うち立てようよ。ぼくたちの「王冠」を、ぼくたちの「国」を。
旗をふりあげ、今まさにぼくたちがここにいることを。
「カイくん!今だ!」
カイくんがのる馬がよりいっそう高くとびあがりました。
野ねずみさんの馬もそれにつづきます。
とん、と馬の蹄がおりるとすべての回転が一瞬とまったように感じました。
それと同時に、目の前の王冠の色がかわったようにみえました。
「八方塞がり、チェックメイトだ!」


そんなこと考えていたらあっという間に日が暮れてきたね。
冬はおひさまがはやくしずんじゃう。
ここでぼくたちの「うわの空」はおしまい。
カラタチバナの実はやっぱり揺れていて、白黒の地面は焦げ茶にちゃんと戻ったから、ぼくたちおうちに帰ろうね。
ふたりはチェス盤をぱたっととじました。
「楽しかったね」
「楽しかったね」

空の雲は動物のような形になって、冬の匂いは澄んだなつかしい匂いがしました。
気づいたらぼくたち奪われているんだ。
次の一手をかんがえながら、のぼっていくんだ。
こころの水蒸気が雲になったら、またうわの空の待ち合わせしようよ。

空から落っこちたって、ちゃんとマントが受けとめてくれるよ。


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