大切な存在でも、離れることを選ぶ時もある
ある友人とのことでずっとモヤモヤと悩んでいた。
そのことは「親友と話していても共感できない」という記事で書いた。
この前数人の前でその話をする機会があった。
その中で心の奥ではわかっている、でもモヤがかかってハッキリとしないものがクリアになって、自分の気持ちと進む方向性が見えてきた。
1人の人に、
「二人の関係が変わってしまったということだけど、光さんと親友さんは
何が変わってそうなったと思いますか」
といったことを聞かれた。
そこで出てきたのは2つ。
1つは、私は心の病気になって休職して退職した。
それまで眠れないとか希死念慮とか出ていたけれど私は
「自分はまだ大丈夫」と本気で思っていた。
でも、ある日突然人は限界を迎える(気づく)。
私の場合は、職場の先輩が
「病院に行ってきた方がいいよ。
自分で判断しないで、ちゃんと専門家に聞いた方がいいよ。」
と背中を押してくれた。
病院で医者に話しながら涙が止まらなくて、
「あー私はずっと苦しかったんだ」
と気づいた。
気付いたというか、「苦しい。もう嫌だ」と思うことを
やっと自分に許すことができた。
だから、私は
「自分(だけ)は、大丈夫」ということなんてないと思っている。
誰もが、明日どうなっているかわからない。
元気と病気の間には薄皮一枚くらいの差しかないと思っている。
一方親友は、
「お金より仕事より、自分が大事だよね。わかってる」
「健康がなきゃ何もできないもんね。分かってる」
というけれど、一方で
「私は結構嫌なことも流せるから。人に話せばスッキリするから」
と言って、違和感や苦しさに蓋をしている(と、私は感じる)
私は自分が病気をしたからこそ、
「自分の心と体が一番大事だ!」
とヒリヒリするほど心の底から実感している。
親友は、「自分を大切にしなきゃだよね」と、
知識としてはわかっている。でも、心底思ってはいない。
だけど、それって当たり前のことだ。
だって私も、病院に駆け込むまで、
眠れなくて、朝起きた時から消えたくて、毎日泣いていたのに、それでも
「(自分は)大丈夫」と本気で思っていたんだから。
経験した後しかわからないことがある。
でも、だから、私と親友の話は交わらない。
いつも平行線のような、同じ話をしているはずなのに、
全然違う話をしている感覚になる。
私は「絶対大丈夫なんて誰にもない」と思ってて、
親友は「私は大丈夫」と思っているんだから、そりゃかみ合わないよね。
それが、私と親友の間で大きく変わったことの一つ。
もう1つは、
私は「今の場所で我慢し続けなきゃいけないなんてことない」
と思っていて、
親友は「仕事なんだから仕方がない」
と思っていること。
私も休職するまでは、ブラックな職場環境の中で、
「でも仕事だからノーは言えない」
「でもみんな頑張ってるから、私もやるしかない」
「でも上司が決めたことだから、どうしようもない」
とひたすら飲み込んでいた。
それは、「仕事に自分を合わせることが当たり前」という考えと、
「仕事が一番、自分はその次でしょ」
という考えに支配されていたからだ。
でも、休職と退職を経験して、別の環境に移動したり、好きなことをやってみたり、自分が幸せでいられる生き方や働き方を探す中で、
今は「ガマンし続ける必要なんてない。別のフィールドだってある。
苦しいところに自分を置き続けなくたっていい」
と思っている。
AがダメならBがある。BがダメならCがある、という考え方になった。
一方で、親友の考えは、前の私と同じ。
「ここにいるしかない。ここで働くしかない。」と思っている。
だから、自分を仕事に合わせようとする。
「仕方がない、仕方がない」
と諦めている姿は、以前と私と同じで、聞いていて苦しくなる。
話を聞いてもらった後、ある人が
「親友さんは仕事を辞めると言いつつも辞めないのは、なかなか割り切れないからで、光さんも親友といて苦しいと思っているけど一緒にいるのは割り切れないからなのかなと思った」
といったようなことを言った。
本当にその通りだなー。
正論やどうすべきかをわかっていても、
人の気持ちはそんな簡単に「わりきれない」。
辞める辞めると言いながらも、ずっと仕事を続けて愚痴を話す彼女に
「なんでだよ!」と思いながらも、
そんな親友の話を聞くのが苦しくても会っている私も親友と同じなのだ。
前の彼女と私の関係は対等だった。
今は彼女の延々と続く仕事の愚痴を私は聞く係だ。
そして、考え方や働き方、生き方が変わった私は、今はその話が苦痛でたまらない。
結論、やっぱり彼女とは距離を置こうと思う。
今は対等の関係じゃなくて、私が我慢する関係になっているから。
以前は彼女との時間はすごく楽しかった。
お互いが1番の理解者だったと思う。
でも、寂しくてたまらないけど、今は立っている場所が違うのだ。
どちらが上とか下とかそういうことじゃない。
Aの世界とBの世界にいて、異なる価値観を持っているということ。
「また前みたいに楽しい時間を過ごしたい、過ごせるんじゃないか」
と期待をして、ずっと離れられずにいたけれど、
心の中では限界は来ていたし、今は離れる時だと分かっていたと思う。
寂しいから認めたくなかっただけで。
またいつか、どこかのタイミングで、楽しく過ごせるようになるかもしれない。
その時は、また楽しい時間を過ごしたい。
大切な人であることに変わりはないのだから。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?