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理想よりも現実

【 自己紹介 】

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このブログでは、2019年7月にうつ病を発症し、それをきっかけに同年12月からブログを始めて、それ以降、900日以上毎日ブログ更新してきた、しがないサラリーマン弁護士である僕が、日々考えていることを綴っています。

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【 今日のトピック:現実を見る 】

今日はまた、つまらないタイトルですね笑。手垢がつきまくった言葉でとても恐縮ですが、構わず続けます。

僕は今、児童相談所という福祉の現場で働いています。

福祉の現場は、もれなく壮絶です(だと思います。たぶん)

「福祉の現場」というのは、誰かが手を差し伸べなければ悲惨な結果が待っている人たちが存在します。

既に悲惨な結果が起きてしまっているパターンも非常に多いです。

僕が現在携わっている児童福祉の現場で言えば、虐待が起きてしまう家庭です。

例えば、親が子どもを叩いてしまっているなどです。

誰かが手を差し伸べなきゃいけない現実に直面し、なるべく良い方向へ向かわせるのが、福祉の仕事だと思っています。

福祉の現場では、理想を抱くのも必要ですが、現実を直面しなきゃいけないことがほとんどです。

例えば、ゴミだらけでお風呂にも入っていない家庭で子どもが育っているとして、それが「おかしい」と思って、すぐに親子を引き離したほうがいいのでしょうか。

これを考えるときに大切な視点は、「どれだけ引き離しても、親子は親子」ということです。

特に母子関係って、父子関係とは異なって、揺るぎません。なぜなら、「母親のお腹から生まれた」という過去の事実は後からぜったいに覆せないからです。

過ぎ去った出来事を、後から覆すことはぜったいにできません。

だから、どれだけめちゃくちゃな母親でも、母子関係は否定できません。ぜったいに否定できません。

どれだけひどくても、母親は母親なのです。その子どもにとって、文字通り、かけがえのない存在です。

もちろん、「母親の理想像」は、いくらでも振りかざすことはできます。

・おいしい朝ごはんを作って、
・きれい好きで、
・美人で若々しくて、
・几帳面で、
・穏やかな性格で、
・ママ友とも仲良くて、
・仕事もしてお金も稼いで、
・お弁当も毎日手作りで、

などなどなど。理想はいくらでも語れます。

だったら、こんな「理想のお母さん」でなければ、子どもを育てることはできないのでしょうか。

それは違います。

理想的なお母さんでなくても、子どもを育てることはできますし、子どもの視点に立てば、理想的なお母さんでなくても、お母さんから育ててもらうことができるのです。

子どもは、この世界でたった1人の、かけがえのないお母さんから育ててもらうことができます。

この価値は、そんな簡単に傷つけていいものじゃありません。

理想的なお母さんでなくても、子どもを育てていいわけですから、親子を引き離すことが正当化されるのは、よっぽどの場面です。

命を振りかざして親子の分離を推進する人もいますが、それは、親と引き離された子どもがどんな人生をたどるか知らないのも大きな要因だと思います。

「命が助かったんだから」は、親と引き離された子どもにとって、あまりにも傲慢です。押しつけがましいです。

親と引き離されたことで、悩み苦しんでいる子どもに対し、「命が助かったんだから」と、僕は言えません。

話がそれましたが、理想を振りかざしても、良い解決策は出てこないのです。

理想のお母さん像から少し外れただけで、母子が離れ離れになっていいわけありません。

そうではなく、現実を受け止めた上で、どうやったら親子が離れ離れにならずに暮らせるかを考えなきゃいけません。

現実というのは、とても複雑でとらえどころがありませんが、少しずつ解きほぐして、ウンウンうなりながら、前に進まなきゃいけません。

とはいえ、僕は現実のほうが好きです。予期せぬ出来事が起きて、理想を語るよりよっぽどおもしろいからです。

理想よりも現実。なんともまあ、ありきたりな言葉ですが、忘れちゃいけません。

それではまた明日!・・・↓

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