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深夜特急2

深夜特急2(マレー半島•シンガポール)を読んだ。

筆者の沢木さんは、タイやシンガポールはあまりしっくりきていないようだった。

前回の香港の旅が、すごく沢木さんにとって良かったらしく、物足りなさを感じている様子が読み取れた。

その中でも、果敢に現地の人と関わり、ディープな安宿に泊まり、その国の良いところ、刺激的なところを貪欲に探す姿勢はさすがとしか言い様がない。

決してお上品な旅ではないのに、沢木さんの文章はどこか紳士的で清潔感がある。

当時、若干26歳という若さで、このバックパッカーの旅を逞しくこなしているなんて、本当にすごい。

さて、このマレー半島•シンガポール編で私が心に残った部分を残しておきたい。

1の香港マカオ編でも思ったのだけれど、決して裕福とは言えない現地の人々が、

バスに迷う沢木さんを案内し、当たり前のようにバス代を払ってあげたり、
自分の家に招待して食事を振る舞ったりする様子が描写されており、心の豊かさを感じた。

また、バンコクの食堂で働いていた男の子に、
沢木さんがチップを渡そうとしたら、
はっきりと「ノー!」と言ったという描写があり、

沢木さんは、バンコクに来てはじめてともいえる感動を受けたと書いてあった。

誇りのようなものなのだろうか。

例え貧しくても、見下されたくないという現れだったのだろうか。

楽な方に流されない毅然とした、潔白な姿勢は、子供だとしても、いや、子供だからこそ沢木さんの目に美しく映ったのかもしれない。

マレーシアでは、娼婦のヒモの男から、日本企業の悪口を聴かされて、怒る沢木さんも面白かった。

娼婦のヒモって、マレーシアにいるんだ、と少し可笑しかった。しかも、沢山いるようだった。堂々としたヒモたち。

また、相乗りタクシーで一緒になった人達と一緒にマレーシアの激辛料理を食べて、

沢木さんが完食したら、一緒に食べていた男性が手を叩いて喜び、(辛すぎるので外国人に完食は無理と思われていた)

その店の女主人に報告したら、その女主人が
店中の人達を呼んできて、沢木さんを取り囲み、
大騒ぎになったというのも面白かった。

沢木さんが、自分と同じように旅をしている若者に、

「旅先で出会う人を必要以上に警戒しない方が良い。その人が悪人で、君たちをだまそうと近づいてくる可能性がまったくないわけではないけれど、それを恐れて関わりを拒絶すると、新しい世界に入ったり、経験をしたりするチャンスを失ってしまいかねない」p183

と言うシーンが深くて印象的だった。

これは、人生にも言える?なんて思ってしまった。

私が今回一番興味深かったのは、沢木さんの仕事について書かれた部分だ。

内定した会社をたった1日で辞めてしまった理由が雨のせいだという。

沢木さんは、雨の感触が好きで、よほどの大雨でもない限り傘をささないという。

でも、入社式の日、スーツに黒い靴を履き、傘をさして、同じように傘をさしたサラリーマンと一緒に流れに身を任せて歩いているうちに、やっぱり会社に入るのはやめようと、思ったらしい。

すごく直感的だけど、多分沢木さんにとって正しい選択だったのだろうと思う。

1つ1つ細かく理由を述べなくても、
その状況の中に全ての理由が含まれているように思った。

しかし、その後の文章で、本当は属することで何かが決まってしまうことを恐れ、回避したのだ、と書かれていた。

人生における執行猶予の時間が欲しくて旅に出たのだと。

分かる気がする。

私も何かを決めてしまうことが苦手だ。
優柔不断なのとは別で、決めてしまって身動きとれなくなるのが怖いのだ。

その後、大学で紹介された雑誌社ルポルタージュのライターをされていたそうだ。

その時の感じをこのように記載している。

ひとつの世界を知るために、その世界に入っていき、そこで生きてみる。束の間のものであり、仮のものでしかないが、そんなことを何度でも繰り返せるのだ。
中略
私たちもまたどんな世界にでも自由に入っていくことでき、自由に出ていくことができる。出てこられることが保証されれば、どんなに痛苦に満ちた世界でもあらゆることが面白く感じられるものなのだ。私自身は何者でもないが、何者にでもなれる。

深夜特急2  p189

「出てこられることが保証されれば、どんなに痛苦に満ちた世界でもあらゆることが面白く感じられる」

これは、真実だな、と思った。

辛い場所でも、あと何ヵ月の辛抱と思えば、貴重な体験のような気もするが、一生となると気が滅入る。

ある意味いつか死ぬ人生だって、同じかもしれないけれど、肉体を持っている以上は、何年も耐えられない。

様々な世界を覗き見ても、抜けたいときに抜けられる、というのは、精神上とても救いになる。

こんなに素晴らしい旅のエッセイを沢山残している沢木さんだけど、巻末の高倉健さんとの対談でこんなことを述べている。

僕は、自分の仕事が天職だなんて、どうしても思えないんですね。その辺は隣の芝生はよく見えるということでしかないのかもしれませんけど、そうではなくて、いま自分がやっている仕事とまったくちがうことできたんだじゃないか、あるいはするべきだったのではないかということをいつも感じていて、でもとりあえずこの仕事だけはきちんとやっておこうと思っているうちに、十年以上も書くという仕事をしてきてしまったんです。

深夜特急2 p222

沢木さんのように、端から見たら書くことが天職かのうように見える人でさえ、自分では別の、もっとふさわしい仕事があるのではないかと思っていたのだと、衝撃を受けた。

私もいつも、もっと違った場所に自分が本当に輝ける合った場所があるに違いないと、よく妄想するのだけれど、まさか沢木さんもそうだったなんて‥。

ということは、大半の人は、もっと自分ふさわしい場所があるはずだと思って生きているということだろう。

人間って切ない。

もしかしたら、世の中には、「合う仕事」と「合わない仕事」があるのではなく、「できる仕事」と「できない仕事」があるだけなのかもしれない。

最後に、この沢木さんと高倉さんの対談の中で、旅についても言えると思われる沢木さんの言葉を引用して終わりたい。

どこからか来て、どこかへ流れていくという姿には、本当に人の心を震わせるものがありますからね。流れていてもそれに耐えられるという強さに対して、人はある種の畏怖の念を抱くんだと思いますね。

深夜特急2 p242

画像はお借りしました。

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