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「訂正する力」を読んで

※2000字を越える長い文章になってしまいました。

東 浩紀さんの「訂正する力」という本を読んだ。
冒頭の方で既に心に響く部分があったので、記事にしてみた。

冒頭の書き出しに、日本は「幼稚」であるということが書いてあった。若いということがもてはやされて、老いを受け入れることができない。
政治や国民の考え方も、リセットすることや、ぶれないことを重要視している。

リセットするということは、今までのことをなかったことにして、ゼロにもどすこと。
ぶれないことは、変わらないこと、変化を受け入れないことだ。

それは2つとも幼稚な発想だというような内容だったと思う。

確かに、日本は若いアイドルがもてはやされ、
アンチエイジングが流行り、
社会的な事象も
何事も充分な説明がなされないまま、
無かったことにされることも多い。

話が少し逸れるかもしれないが、
若いということは確かに美しい。
でも、アイドルという職業は過酷だよなあ思う。
若さや美しさを売っている部分もあるから、
それに惹き付けられた、様々な人が寄ってくるだろうし、握手会を開けば、どんな人であろうとも拒めない。

多感な十代の女の子なんかが、そんな目にあっていると思うと、少し胸が痛む。

例え彼女達が、キラキラした世界に憧れて、自ら選んだ道であったとしても。

リセットすること、ぶれないことは、私も幼稚だなんて発想がなかったので、驚いた。

でもよくよく考えてみると、確かにリセットするって、自分思い通りにならないことをなくしてしまうっていうことなのかもしれない。

東さんは、訂正していく力の重要性を説いている。

なかったことにするのではなく、現状を受け入れて、改善が必要な部分を訂正していく。

そして、ぶれないということは、
頑なに変化しないということなのかもしれない。
変化を受けいれて、変容していく大切さ。

自分の中に芯を持って、落ち着いて変化していくならば、その状態はもしかしたら遠目で見た時、ぶれない人のように見えるのかもしれないけれど。

世の中は、常に変容し続けている。
自分自身も変容し続けている。

頑なに従来の考えや、やり方を貫くことは、
危ないことなのかもしれない。

かといって、
すぐに無かったことにしようとするのではなく、
変化を受け入れて、その上で成熟した人間になっていくこと、これが大切なのかもしれない。

東さんは、

国の成長は永遠に続くものではありません。あるていど豊かになったあとは、豊かさの「維持」を考えなければならない。
そしてなにかを維持するとは、古くなっていくものを肯定的に語ることにほかなりません。それが成熟した国のありかたです。

「訂正する力」

と記載した後、

これは個人の話に置き換えれば、老いを肯定するということでもあります。リセットしたいというのは、要はもういちど若くなりたいということです。この国の人々は年を重ねることについて肯定的に語る言葉をもっていません。だから老いについて単純で暴力的な語り口が横行しています。「延命治療をやめるべき」だとか「老人は集団自決するべき」だといった議論が、定期的に現れます。 世界的に人気があるサブカルチャーの分野でも、主人公は若者ばかりです。さまざまな挫折や失敗を経験し、もがき苦しみながら生きていこうとする中高年が描かれることはあまりありません。

「訂正する力」

と書いています。そして、

では、老いるとはなんでしょうか。それは、若いころの過ちを「訂正」し続けるということです。30歳、40歳になったら20歳のころと考えが違うのは当然だし、50歳、60歳になってもまた変わってくる。同じ自分を維持しながら、昔の過ちを少しずつ正していく。それが老いるということです。老いるとは変化することであり、訂正することなのです。 日本には、まさにこの変化=訂正を嫌う文化があります。政治家は謝りません。官僚もまちがいを認めません。いちど決めた計画は変更しません。誤る(あやまる)と謝る(あやまる)はもともと同じ言葉です。いまの日本人は、誤りを認めないので謝ることもしないわけです。

「訂正する力」

と続く訳です。
胸に刺さる文章です。
また、昨今のXにみられるような論争については、

本当に大事なのは、自分と異なった意見をもつ人間を、すぐに理解し包摂しようとするのではなく、理解できないまま「放置」するある種の距離感なのです。その点でいまの日本社会は、まるで小学校の教室のように幼稚な空間になっています。

「訂正する力」

と書いています。
なるほど!という意見ばかりで、目から鱗です。
引用ばかりになってしまいましたが、原文の持つ力が素晴らしすぎて、是非紹介したいと思い、載せてしまいました。

もしかしたら、著者は、歳だけはとってゆくのに、中身は幼稚なままである人達に対して、警鐘を鳴らしているのかもしれません。
(きっと私もその1人です。耳が痛い話です)

年甲斐もなくという言葉は、最近敬遠されがちだけれど、自分をきちんとわきまえること、とも言えますよね。

重ねてきた経験と、年齢。
受け入れ、わきまえた上で、
修正しながらアップデートしていけたらいいなあと思います。

また、著者は、「人間と人間は最終的に分かりあえない。できるのは「理解の訂正」だけ。「じつはこういうひとだったのか」という気づきを連鎖させることだけ」」と延べています。

スピード社会の中で、インスタントさが好まれる現代社会ですが、代わりの利かない1人として、誰かと長く関係を維持していくには、ある種の忍耐強さが求められているのかもしれません。

すぐにリセットしようとするのではなく、
経験から学び、それを生かして、
成熟した大人になっていきたいなと思いました。

この本では、実際に社会で起きた問題、(東京オリンピックや、ジャニーズの件など)を取り上げたり、日本の未来についても書かれています。

著者が哲学者なので、後半に進むにつれて、
すこし回りくどいというか、小難しい部分もあり、
好き嫌いが別れるかもしれませんが、
私は、全体的に面白く読むことが出来ました。
(理解出来ていない部分もあるかもしれませんが)

私は、勉強になることが沢山あったので、
もし、ご興味あれば、
Amazonの電子書籍で読めます。

画像はお借りしました。

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